『彼方より・・・』







 三桁もの勇者たちを乗せる方舟、万能戦艦ラストガーディアン。
 この日、ここに集まる勇者たちに、新たな仲間が加わった。
 忍者と巫女ばかりで構成され、忍巨兵と呼ばれる忍者メカと共に戦う勇者忍軍。
 その勇者忍軍に援軍が来る。そんな報告が風雅陽平たちに届いたのは、つい先日のことであった。
 なんでも、勇者忍軍の世界から来たというその者たちの中には、彼ら風雅忍者の当主がいるらしく、陽平たちは揃って格納庫まで新メンバーの出迎えに来ていた。
 偶然、報告を聞いた際に忍軍連中と一緒にいたブレイブナイツの面々も、一緒に新しい仲間を迎えに出ると言う志狼たちに付き添い、こうして同行したわけだが、その中でもブレイブナイツのクールビューティー、龍門水衣には今回の件を少々疑問に思う点がいくつかあった。
 まず、なぜに出迎えが格納庫なのか。
 相手が偉い人と言うなら尚更、合流ポイントなどに迎えにいけばいい。
 これに答えたのは長く艶やかな黒髪を揺らし、どこか厳しい印象を受ける風魔の長女だ。
 なんでも、勇者忍軍のために忍巨兵を四機も持って来るらしく、そのお披露目も兼ねていたらしい。
 ようするに、ここまでその新しい忍巨兵で飛んで来るつもりなのだろう。
 確かにそれならば、広いラストガーディアンの格納庫が好ましい。
 次の疑問は合流する人物について。当主までもがここに来て、いったいなにをしようというのだろうか。
 よもやそんなに偉い人まで戦ってしまうのかと思いきや、戦力として来るのは同行する二人の巫女の方らしいと、答えたのは孔雀だった。
 もっとも、偉い云々で言えば風雅の故郷リードの皇である釧や、姫である翡翠の方が比べるべくもなく偉いわけだが、完全に民間人に溶け込んだ姫や、愛想のない仮面の皇に、そういうものを求める方が無理というものだ。
 三つ目の疑問は、陽平たち勇者忍軍や椿、それに忍巨兵たち。果ては釧までもがいるというのに、どうして忍者マスターと聞き及んでいる陽平の父親がこの場にいないのだろうか。
 それに答えたのはやはりというべきか、彼の息子、風雅陽平であった。
 当然と言えば当然なわけだが、相変わらず翡翠を連れている彼は、少女を傍らに少々不機嫌な表情を見せる。
 黙って真面目な顔をしていれば、それなりに見られる顔立ちだというのに勿体ない。とは、いつかエリィが言っていた言葉だが、水衣も少なからずそう感じる部分もある。
「あのクソ親父がいねぇわけがねぇ。間違いなく、どっかで俺たちのことを見てやがるはずだ」
 それに同意を示すように苦笑を浮かべるのは、勇者忍軍の射手にして薄幸の少女、桔梗光海である。
 風魔忍者でありながら、過去の盟約に従って勇者忍軍と協力関係にある風魔の兄妹は、そんなバカなとでも言いたげに周囲の様子を伺っている。
 見れば志狼やエリィといったブレイブナイツの面々も、周囲に隠れているだろう(息子談)風雅雅夫の姿を探している様子。
 確かにそれらしい気配は微塵もない。少なくとも視覚で捉えることはできないし、直感でもそれらしいものを感じることはない。もしも本当に隠れているのだとしたら、やはり雅夫は相当な使い手ということになるのだが……。
 正直なところ、未だに雅夫の戦う姿を見たことのない水衣にとって、彼の強さなど紙面に描かれた絵空事に過ぎない。
 それこそ、水衣にとっての雅夫は、気の良いちょっと変わったおじさん……と言うには明らかに若作りな人、程度の認識でしかない。実力云々で言えば、凄まじい成長速度を見せる陽平や、他の忍者たちとは圧倒的に違う強さを誇る釧の方がよほど脅威に思える。
「陽平くん。雅夫さまはフウガマスター……。つまり、当主直属の忍者なんですよ。その彼が先に出迎えに赴かないはずがないじゃないですか」
 椿の説明に納得すると同時に、一同は揃って陽平を白い目で見る。
「お前らなァ、さっきお前らだって納得してたじゃねェかよ」
 弱々しい陽平の抗議も空しく、一同はどっと笑いに包まれた。
 それにしても、今度こそ雅夫の力が一端でも見られると思ったのに、水衣にとっては少々残念な結末だった。
 だが、そんな空気も一変して、一同に緊張の空気が流れた。
 明らかに誰かがこちらを見ている。
 それを感じた面々が、揃って周囲に視線を巡らせる。
「この気配は……親父かァッ!」
 陽平の怒声を皮切りに、何者とも知れぬ笑い声が広い格納庫内に木霊する。
 拡声器でも使っているのだろうか。もし声帯のみの発声ならば、少なくとも人間の声量を遥かに超えていることになるが……。
「出て来やがれッ! クソ親父ィッ!」
「どこを見ておるか、バカ息子! ワシはここに在る!」
 一同の見守る中、格納庫の床が水面のように波打ち、一面に黒い波紋を広げていく。
 それが陽平の影衣と同じ影渡りの能力であると気付いた瞬間、まるで地面から生えるように複数の巨大な人型が現れた。
 蒼い二つの竜頭を持つ者。赤い炎のようなたてがみを持つ者。しなやかな八つの棘を持つ黒薔薇のような者。白き大翼を持つ者。
 その内の黒い女性型忍巨兵の掌に立つ複数の人影を、水衣はすかさず指差していた。
「あそこに」
 つられて見上げる一同の前で、黒と白の忍巨兵が跪き、自分達の掌に乗る人物を床に降ろす。
 どうやらこの人物たちこそが勇者忍軍の仲間なのだろう。
 巫女の衣装を身に纏う女性が一人と、私服の少女が二人。それに付き添うように並び立つのは陽平の父、風雅雅夫であった。
「諸君、出迎えご苦労」
「なァにがごくッ──」
 売り言葉に買い言葉を返す瞬間、後頭部に入った志狼の激しいツッコミに、陽平は思わず舌を噛みながら格納庫の冷たい床に顔面を打ち付けた。
「なにしやがる!」
「お前、御当主さんの前で親子喧嘩見せる気か……」
 俺はどうなったって別にいいんだ、とでも言いたげな視線で倒れた陽平を見下ろす志狼に、陽平はそうだったと腕のみで跳ねるようにして立ち上がる。
 なんとか落ち着いたところで深呼吸。それに合わせて一同に緊張が走る中、陽平は一歩前に出ると、巫女装束の女性に向かって恭しく跪いた。
「お待ちしていました。ご当主……いえ、琥珀さん」
「こちらも、お待たせいたしました。陽平さんの成長に、竜王が間に合って本当に良かった」
 聖母のような優しいまなざしと、陽光のような暖かな包容力。そして、どこか一筋縄ではいかない雰囲気。
 風雅当主、琥珀。なるほど、と思わされる人物だ。
 琥珀に促されて立ち上がる陽平が、少し照れた様子で頬を掻くのを見てブレイブナイツの誰もが確信した。
 陽平は年上の女性に弱い、と。
 ふと、水衣が目を向けた先では、小柄な少女が一人、離れたところで視線を逸らしていた。
 相手も水衣の視線に気付いたのだろう。一瞬だけ視線が交差すると、それを拒むように瞼を閉じてしまった。
 拒絶されてしまっただろうか。そんな疑問に首を傾げるが、初対面で拒絶されるような理由は、水衣自身にも心当たりはなかった。
「では、せっかく皆様に集まって頂きましたので、私たちの自己紹介と、忍巨兵のお披露目をさせてもらいます」
 もう一人の小柄な少女の提案に、エリィはポニーテールを揺らしながら、待っていましたとばかりに手を叩く。
 少女はわざとらしく咳払いで間を置くと、それではと琥珀を促した。
「こちらの方は、風雅忍軍の当主と、全ての忍者、巫女、そして忍巨兵を束ねる統巫女【スマルノミコ】を担っておられます……」
「琥珀……と申します。どうか畏まらず、普通に接してください」
 恭しく一礼する琥珀に、逆に恐縮してしまう一同は、思わず内心で苦笑いを浮かべていた。
 それを知ってか知らずか、にっこりと微笑む琥珀に、なぜか勇者忍軍の内数名が引きつった笑いを浮かべていた。
 再び咳払いで気を取り直した少女は紹介を続ける。
「あの子は、笛が得意な私の妹さん。天王サイガの巫女として、皆さんと一緒に戦うことになります」
 話を振られたことに迷惑そうな素振りを見せつつ、一同の目から逃れるように視線を下に向け、自身を守るように胸の前で握っていた手を強く握り締める。
「ほら、瑪瑙」
 姉に促され、ようやく少女は並び立つ一同に目を向ける。
 澱んだ迷いだらけの瞳。まるで、復讐だけを目的と生きていた頃の自分達のようだと感じた瞬間、水衣は彼女から目を離せなくなっていた。
「天城瑪瑙」
 名を口にしただけで黙り込む瑪瑙に、誰もが思わず「それだけ?」と言いそうになる。
 だが、そんな周囲の反応さえも意に介さない瑪瑙は、すぐに目を伏せてしまうと、身を隠すように顔を背けてしまった。
 大人しい子なのでみんなから仲良くしてくださいね。などと姉がフォローするものの、そういう雰囲気でないことは誰もがわかっていることだ。
 何か瑪瑙から笑顔を奪った原因があるに違いないと、一同は揃って瑪瑙の様子を伺っている。
 もっとも、その原因の一端が陽平であるなどと気付かれるはずもなく、瑪瑙は出会い頭で強烈な印象を残すことになった。
 重たい空気を払うように笑顔を作り、瑪瑙の姉がさらに一歩前に進み出る。
「じゃあ、最後になりましたが私も自己紹介します。葵日向、22歳。訳あって姓は違いますが、ちゃんと瑪瑙のお姉さんです。特技は巫女舞。忍巨兵サイハで瑪瑙と一緒に戦いますので、そのときはよろしくお願いしますね」
 悲しいかな、ぺこりと丁寧にお辞儀する姿は、とても22歳には見えない。
 水衣だけでなく、初見の者全てが同じことを考えただろうが、誰一人としてそれを口にする者はいなかった。
「それと、忍巨兵の技師もしているので、そっちの関係でもよろしくお願いしますね」
「忍巨兵を直せるんですか!」
 いち早くそれに反応したのは、ブレイブナイツのクセッ毛技師ことユマであった。
「直すだけではなく、作ることもできますよ。さすがに一から作るのは時間も人手も掛かりますけどね」
 ようするに、作って直して戦う技師。勇者忍軍版のユマということになる。
 同じ立場のユマとしては、親しい同僚ができた感覚なのだろう。目をらんらんと輝かせて握手を交わす二人を、水衣は微笑ましく見つめていた。
 それにしても、やはり瑪瑙のことが気にかかる。会って間もない相手が、これほどまで気になったことが今までにあっただろうか。
 視線の先では、一人会話の輪に入らない瑪瑙の姿が在る。
 入れない≠ナはなく入らない=B
 これはつまり、明確な拒絶の意思だ。
 日向の話は新しく合流した忍巨兵の説明に移り、ますます瑪瑙が入り辛い状況になっている。
 ガイドに連れられたツアー客のように、忍巨兵の前に移動する一同の中、瑪瑙と水衣、そして琥珀だけは、なぜかその場を動こうとはしなかった。
 ふと、こちらに笑いかけている琥珀と目が合った。
 澄んだガラス玉のような瞳が、まるで心の奥底まで見透かしているかのように水衣を見つめている。
「あの、何か──」
 何か用ですか。そう告げるよりも早く、琥珀は水衣に歩み寄ると、少し首を傾げるように耳打ちしてきた。
「えっ……」
 突然のことに思わず身構えたが、琥珀の言葉に僅かな驚きの色を見せてしまう。
 柔らかな、太陽の香りを残す髪を揺らしながら離れる琥珀が「お願いします」と囁く。
 断る理由など、どこにもなかった。
 目の前に佇む琥珀に、掌と拳を合わせて頭を下げると、水衣は意を決したように瑪瑙の下へと歩み寄って行く。
 当然、水衣の姿が視野に入った瑪瑙は拒絶の色を濃くするが、そんなもの関係ないとばかりに水衣は手を差し出した。
 瑪瑙の訝しげな瞳が、差し出した手に向けられる。
 「何ですか、いったい」とでも言いたげな目を無視することで、水衣は手を下げることなく瑪瑙に微笑みかけた。
「何ですか、いったい」
 訂正しよう。本当に言われてしまった。だが、これで会話の糸口は見つかった。
『彼女の心は頑なです。ですが、より頑なな気持ちを以て触れ合えば、きっと瑪瑙は昔のように笑ってくれます。どうか、瑪瑙の親友になってあげてください』
 先ほどの琥珀の言葉を思い返し、水衣は決して笑顔を絶やすまいと必死に努めた。
「私は龍門水衣。ブレイブナイツの拳士よ。一緒に戦場に立つ者同士、仲良くしたいのだけどいいかしら」
 僅かながら瑪瑙の防御が強くなった気がした。無理もない。突然の事に警戒しているのだろう。
 だが次の瞬間、水衣は信じられないものを見る事になる。
 多少強引に行こうと瑪瑙の手を掴もうとしたその瞬間、まるで風に舞う木の葉のように瑪瑙の身体が避ける。
(軽い足捌きと、無理のない体捌き!)
 だが、木の葉一枚掴む事ができずして、拳士になどなれようはずがない。更に追いかける水衣の手が伸びると、瑪瑙はその手を撫でるように触れ、次の瞬間には水衣の身体が回転していた。
 海で海流に飲まれたときのように身体の自由が利かず、受け身の取れないまま水衣が投げられる。
(しまった!)
 大人しそうな外見からは、想像もつかない使い手であったことに、今更ながら気がついた。
 このまま床に叩き付けられる。そう思い、できるだけ威力を殺そうと試みたが、どうやらそんな必要はなかったようだ。
 まるでふかふかのベッドに倒れ込んだような感触に触れた瞬間、自分の背中に空気の膜のようなものがあることに気がついた。
 傷つけるつもりはない。おそらくはそういうことなのだろう。
 だが、さすがに投げるのはやりすぎた。
 人一人が投げられて、この場にいる者たちが気付かぬはずもない。
 水衣が呆然とした一瞬。その間に皆の視線が瑪瑙に突き刺さる。
 後退り、水衣と仲間たちを瑪瑙の視線が行き来する。
 まずい。そう思った瞬間、瑪瑙は脇目も振らずに走り出していた。
 仲間たちが口々に瑪瑙の名を呼び、日向が転がったままの水衣に、慌てた様子で駆け寄って来る。
「大丈夫ですか!」
 手を差し出す、日向には大丈夫だと伝え、ハンドスプリングの要領で起き上がる。回る視界にフラリとバランスを崩し、倒れかかる。

ポス

「!?」
 誰かに抱きかかえる。日向だろうか。
「油断したろ、水衣姉」
「拳火」
 意地悪く笑う弟の顔と、それが僅かに霞んで見えるのが何とも腹立たしいが、頭を振って視界を無理やり戻す。
 ひょっとしたら驚かせてしまったのかもしれない。
 誘い方が少し強引過ぎたと反省すると、水衣はすぐにその場から駆け出していた。
「どこ行くんだよ!」
 拳火の声に一度だけ振り返ると、僅かな間、拳火と視線を交わし合う。
 これだけでいい。今更、言葉など必要ない。
 真っ直ぐに瑪瑙を追いかける水衣の背中が遠ざかる中、拳火は頭を掻きながら、
「まぁ頑張りな、水衣姉」
 姉にしては珍しい行動に、ふと笑いをこぼしながらそれを見送るのだった。






 元々、体力がない方だった瑪瑙は、肩を上下しながら大きく息を切らせると、徐々に速度を落として、どこともつかない場所でゆっくりと歩みを止めた。
 風雅流にある透牙と呼ばれる縮地法は、間合いを縮める速さが売りの技法だが、巫力を用いる歩法だけに、間違ってもこれを連続使用するわけにはいかない。
 だが、これで少しは時間を稼げたはずだと一息ついた瑪瑙は、小さく安堵の息を漏らした。
 どこまで走っても同じ廊下が続いているのではないか。そんな不安に陥りそうな光景が、前にも後ろにも続いている。
 微かに感じられる木々の気配を目印に走ってきたが、ひょっとしたら出口などではなく、誰かが育てている花壇の気配だったのかもしれない。
 意気消沈しながらも、目を閉じて自らを取り巻く結界を広げていく。
 瑪瑙が主に用いる力は風。常に微風程度の力を放つことで、それに触れたものを感知するといった、簡易的な警報装置だ。
 だが、広げた結界にかかる者が多過ぎたために、瑪瑙は目を白黒させながら結界を元のサイズに戻していく。
 なるほど。艦が広ければ乗員の数も比例するというわけだ。
 疲れた溜め息をひとつ。とにかく、今は感じられる木々の気配を追いかけていくしかない。
 瑪瑙は機械に包まれた空間に違和感を覚えながらも、どこかで根強く命を育む植物を目指して歩き出した。






 どれほど歩いただろうか。既に歩いた道順など忘れてしまったが、時間にして三十分くらいだっただろうか。
 次第に強まる木々の気配に、瑪瑙は目の前に広がる光景に小さな声を漏らした。
 視界から溢れてしまいそうな緑の背景と、瑞々しい木々の香り。季節的なものもあるのか、ほのかに紅葉の始まった葉も見える。
 ラストガーディアン植物園。ここは、乗員たちの憩いの場でもある。
 これだけの木々に囲まれると、幼い頃を思い出す。
 まだ、本当に幼かった自分と、自分を生んでくれた両親。そして、今は無い遠き故郷の姿。
 植物園に足を踏み入れた瑪瑙は、胸一杯に新鮮な空気を吸い込む。
 どこから入り込んでいるのか、草木を揺らす微風に、髪が煽られないよう手を添える。
 唯人よりも優れた耳が、この世界に吹く風の歌を聴いた。
「一緒に……歌ってもいい?」
 誰に言うでもなく、呟くように尋ねると、胸に揺れる無色透明の勾玉を、忍巨兵と繋がる器──忍器へと変える。
 天王サイガと繋がる瑪瑙の忍器は横笛。勾玉のように透き通る、その名を水晶之笛≠ニいう。
 笛にそっと口付けると、まるで演奏前の会場のようにしん、と静まり返る。
 別に水晶之笛にそういった能力があるわけではない。あくまで瑪瑙自身の集中力によるものであり、自然の奏でる音楽を楽しみ、音を奏でることを最高の楽しみとする想いが、瑪瑙だけの演奏会を作り出す。
 まずは挨拶。風の歌に合わせて笛を一吹き。
 すると、二つの音は混じり合い、新しい音に姿を変える。
 今度は風たちが木々を揺すっての返事。
 サワサワと広がる風の歌に、瑪瑙は小さな蕾に触れるような優しい音を奏でていく。
 風は、どこに行っても変わらない。
 元気になるポカポカした音。くすぐるようなソヨソヨした音。ちょっと意地悪なザワザワした音。
 笛だけではとても表現できないような自然の歌に、瑪瑙は張り詰めていた自身の空気を、少しずつ和らげていく。
 思えば、自分を知らぬ初見の者や、風雅に関わらない者にまで自分の都合を押しつけてしまった。
 人は元来、押し付けられることを嫌う生き物だ。それなのに、あの水面のような青い髪の少女は、文句を言うどころか手を差し伸べてくれたというのに。
(私、投げました)
 つくづくバカなことをしたと思う。
 あの優しさは、風のように撫でてくれる優しさではなく、水のような包み込む優しさだった。
 あのとき、あの優しさに包まれていたのなら、どれほど安らげていたのだろうか。
 身を守る頑なさは、時として優しさをも跳ね返す孤独の檻だ。
 先ほどの一件を思い出した途端に、瑪瑙の笛が言い知れぬ哀しみを含んでいく。
 風たちの歌がしきりに元気付けてくれるけど、こんな気持ちのままでは、とても奏でていることなどできようはずがない。
 次第に音を小さくする笛に、風たちも歌うのをやめていく。
 なんとも後味の悪い演奏会だ。
 そんな後悔の念を抱えたまま、笛から僅かずつ唇が離れていく。
 だが、そんな演奏会にアンコールを送ったのは、あまりに唐突な歌声であった。

 ラ〜ラ〜ララ〜、ラ〜ラ〜ララ〜……ララ〜♪ ラララ〜ラ〜ラ〜♪ ラ〜ラララ〜ララ〜♪

 すんなりと心に浸透するように、誰かの歌声が入り込んでくる。
 風たちもその歌声に元気を取り戻し、瑪瑙の笛もまた、自然と歌声につられるように音を奏でていく。
(誰……)
 おそるおそる、声のする方へ視線を動かしていく。
 最初に見えたのは、風になびく水面のような髪と、胸の前で組まれた雪のように白い手。
 目を閉じ、飛沫を浴びて歌い続けるその姿は、さながら人魚のようであった。
(龍門、水衣……さん)
 どういうことなのだろう。なぜ、彼女が一緒に歌っているのだろう。どうして、彼女は笑いかけてくれるのだろう。
 瑪瑙の笛が尋ねる。「どうして」と。
 それに気付いた水衣は少し困った表情を見せた。
 無理もない。音だけで正確に相手へ感情を伝えるのは、とてもとても難しいことなのだから。
 しかし、水衣の表情が「どうして」という質問に対してのものだったと分かったのは直後だった。
 水衣の歌に変化が生まれる。そこに込められた想いを正確に読み取り、瑪瑙は驚きのあまりに目を大きく見開いていた。
あなたとは いいともだちに なれるとかおもったから
 瑪瑙は知っている。心が歌い、奏でる音は決して嘘を吐かないことを。
(どうしてですか?)
 自分などと友達になろうとする理由がわからない。
 拒絶、孤独、逃避。そんなものを抱える瑪瑙には、どうしても理解できなかった。
 友達になることに理由がいるのだとしたら、それはただ一つしかないということを。ただ、純粋にその相手を好きだから≠ニいう、単純で、他に説明しようがない理由だということを。
(好き)
 疑問のような、自分に言い聞かせるような音に、水衣が流し目で頷いた。
(私を、好き)
 たくさんのものから逃げ出した自分を一番嫌っていたのは、むしろ自分自身だったというのに。
 歌が問い掛ける。答えを聞かせて≠ニ。
 その気持ちは純粋に嬉しいものだ。瑪瑙自身、それを嬉しいと感じているし、彼女の優しさには魅かれている。
 それは、光海や楓、柊や孔雀といった忍軍の仲間たちにも同様のことが言える。
 それでも、瑪瑙には仲間を受け入れられない理由が、あの輪の中に入っていけない理由がある。
 それは、風雅陽平という少年の存在と、星浩介という少年の思い出。
 瑪瑙の音を感じたのだろう。不意に目を細めて笑いかける水衣の表情に、どこか怪しげな雰囲気が漂った。
 歌は止み、併せて笛を下ろす瑪瑙に歩み寄り、水衣は改めて手を差し伸べる。
「そこのところ、詳しく聞かせてもらえないかしら」
 力になるから。力になれなくても、あなたの心の支えくらいにはなれるから。
 不敵な笑みを浮かべる水の少女に、瑪瑙は困惑の色を浮かべたまま、おそるおそる彼女の手を取った。






 結局あの後、陽平も瑪瑙を探して飛び出したものの、その影を踏むこともなくただ時間だけが空しく過ぎていった。
 勇者忍軍の新たな力──六体の忍巨兵たちは、今現在、日向と琥珀の指揮の下、急ピッチで最終調整が行われている。
 柊の風王ロウガと楓の炎王クウガは、忍巨兵の心を封じた勾玉と、青の鎧、赤の鎧と言われる追加パーツでパワーアップ。本来の姿である牙王ロウガと鳳王クウガに変化した。
 当然、二人の合体形態である双頭獣ダブルフウマも、双王ラグナフウガにパワーアップ。地上戦近接格闘型の弐式、空中戦遠距離砲撃型の参式に加え、バランスのよい壱式を主な形態として、今まで以上に戦闘の幅も広くなっている。
 これらを操るために、新たな忍器牙王之戦足袋≠ニ鳳王之黒羽≠ェ用意され、風魔の兄妹も一段と活躍の場が増えるに違いない。
 続く女郎蜘蛛の忍巨兵、闇王モウガは蜘蛛、人型、大爪の三形態に変形する鳳王クウガに続く女性型忍巨兵だ。
 特筆すべきは武装形態である大爪──影魔爪。巫力で生み出された見えない糸と、シザーハンズのような刃の指を武器とした、巨大な手だ。
 楓を巫女として戦うモウガは、忍巨兵のみの単独戦闘をこなし、ときにはラグナフウガの武装として強大な力を発揮する。
 これらの要素が混じり合い、風魔の兄妹はより一層頼もしい戦力となった。
 頼もしいと言えば、天王サイガとその巫女、天城瑪瑙もこの上ない力になってくれるだろう。
 天馬から人型、そして巨大な左腕と大団扇──天拳と天翼扇へ三段変化。
 天翼扇は対象物の時間を扇ぐ超兵器で、これを受けた物質は文字通り一瞬でこの世で許された時間の全てを吹き飛ばされることになる。
 あまりに危険すぎる武器のため、陽平も使用は控えなければならないのだが、それ以上に瑪瑙が使わせてくれない可能性の方が高かった。
 これは理由もわかっているだけに、かなり高確率で現実となるだろう。
 そうなると、瑪瑙とサイガは、姉の日向と共に、光海と森王コウガ、孔雀と輝王センガに合体。人馬型が特徴的な角王式戦馬合体トライホーンフウガとなって戦うしかない。
 事実上、勇者忍軍最大戦力を誇るトライホーンフウガは、今後もなにかと戦闘の要になるに違いない。
 そこまで考えて、不意に歩みを止める。
 以前、ブレイブナイツのブリッツァー・ケイオスに言われた仲間との連携≠ノついて考えるには、これはいい機会なのかもしれない。
 今までを振り返れば、獣王クロスフウガと陽平は、自分たちが自由に動くために仲間たちに援護されるといった戦い方が多かったのだが、それはあくまでクロスフウガが勇者忍軍最大の戦力だったからに外ならない。
 しかし、トライホーンフウガのように死角の薄い忍巨兵が現れた以上、陽平は竜王ヴァルフウガを駆り、クロスフウガと共に仲間たちを守る戦い方をすべきだろう。
 実際、陽平の新たな力、蒼天の竜王ヴァルフウガはそれだけの性能を秘めている。
 双首の竜、忍獣ヴァルガーに陽平が乗り込むことで、人型のヴァルフウガに変化。
 新たな試みである、自動的に周囲から巫力を吸収して、必要に応じて強力な術を起こすシステム──遁煌を両手足に装備。それらを駆使することで、格闘能力を高められた竜王は、陽平の新たな戦法である術と格闘の融合戦術──風牙を最大限に活かし、陽平にクロスフウガを遥かに上回る戦闘力を与えてくれる。
 とはいえ、実際は陽平の戦闘力が基準になる以上、今後の成長が今まで以上に重要視されるだろう。
 そういえば、釧も同系統の忍巨兵を与えられていた。
 いや、正確にはあれを忍巨兵とは言わないだろう。
 忍巨兵たちの祖にして、リードの守護神と呼ばれた巨兵クロスガイア。
 古の文化が残した遺産か、それとも事実神であったのかはわからない。だが、クロスガイアはリードの地中より発掘され、永きに渡ってリードを守り抜いたと言われている。
 傷ついたクロスガイアは、後に新たな身体にその心を移し替えられ、獣王クロスフウガとして恒久にリードを守り続けることになる。
 つまり、今のクロスガイアは、心のない神の器と言える。
 紅い獅子から人型に変化。それを身に纏い、真獣王ガイアフウガと名乗った釧が神になったのかはわからない。だが、少なくともヴァルフウガと同等以上の戦闘力を手に入れたことだけは確かだ。
 まるでハンデのように飛行能力と水上歩行の不足。さらには忍巨兵のような身軽さもないのだが、それを補って余りある釧の技能は、既にマスターの域にまで到達しているのかもしれない。
 加えて、琥珀に渡された一振りの刀。獣王の証こと炎鬣之獣牙。
 これら全ての要素が重なった釧は、もはや勇者忍軍最強と言っても過言ではなくなってしまった。
(正直、アレとやり合って勝てる気がまったくしねぇ)
 願わくば、元の世界に戻っても彼が協力者であってほしいものだ。
 牙王ロウガと鳳王クウガから成る双王ラグナフウガ。闇王モウガ。天王サイガとそれに伴う角王戦馬トライホーンフウガ。竜王ヴァルフウガ。真獣王ガイアフウガ。以上が勇者忍軍に新たに加わった戦力だ。
 頭の中で整理を終えた陽平は、ひとりごちるように溜め息をつく。
 翡翠を守るためとはいえ、随分と遠くまで来てしまったものだ。
 元の世界にやり残してきたことも少なくはない。
 たとえば、瑪瑙と一緒に消えた親友の影を追いかける必要もある。
 瑪瑙に泣かれ、恨まれたままというのも、さすがに後味が悪過ぎる。
 ふと、駆け寄ってくる二つの気配に振り返り、そこに珍しい二人組を見つけた陽平は、思わず首を傾げていた。
 ブレイブナイツの龍門水衣と、合流したばかりの勇者忍軍、天城瑪瑙。
 飛び出していった瑪瑙を水衣が追いかけたのだから、一緒にいること自体は不思議でもなんでもないのだが、この組み合わせは慣れないためか、なかなか違和感を感じる。
「天城、それに水衣じゃねぇか。いったいど──」
 突然、頬に走った衝撃に、陽平は言葉を続けることはできなかった。
 まず右の頬に平手を一撃。巫力を上乗せしてあるのか、首がゴキン、と嫌な音を立て、陽平の身体が回転しながら宙を舞う。
 更に左に一撃。というか、こちらは平手打ちではなく、完全な掌打。
 ほとんど打ち落とすように叩き込まれた一撃に、陽平は無防備のまま廊下にはたき落とされた。
 おかげであらぬ方向にへし折れそうだった首は元に戻ったわけだが、どちらにせよ陽平自身はあまり無事ではない。
 平手の一撃で宙に浮かされ、こちらが体勢を立て直すよりも早く掌打で叩き落とす。完璧なコンビネーションだった。
 だが、薄れゆく意識の中で、陽平は訴えた。
(俺がいったい……何をした)
 虫の息とばかりに呻き声が喉から絞り出されるが、そんな陽平を水衣はただ、冷ややかに見下ろしていた。
 話は聞かせてもらったわ。と言われたような気がした。
 見れば瑪瑙を庇うように立つ水衣の姿に、意に反して頬が痙攣を起こしたようにヒクついた。
 そうか。瑪瑙を守ってくれるのか。
 その理解はやがて安心感に変わり、陽平はやけに満足そうな表情で意識を失った。






 完全に落ちたのを確認した水衣は、困ったように自分の掌を見つめる瑪瑙を振り返る。
 嫌いな相手を叩いたわりには、辛そうな表情を見せている。
 やはり忍軍には、忍者と呼ぶには優し過ぎる者が多いらしい。
「スッキリした?」
 その問いに、瑪瑙は複雑そうな顔を見せる。
「そう。でも、思い切り叩いたから。だからせめて、ここにいる間だけは、仲間としていられないかしら」
 思い切り叩いたのは水衣も同じなのだが、そこはスルーしておくことにする。
「もし、また気持ちを抑えられなくなったら、陽平はきっと黙って叩かせてくれるわ」
 彼は、きっとそういう男だから。
 恋心にはあれだけ疎いくせに、辛い気持ちや悲しい気持ちには敏感で、誰彼構わず手を差し伸べて回っている。
 それはときとして、何人もの人を哀しませる。それでもきっと、陽平はその哀しみさえも拭える方法を探すに違いない。
 そんなところばかり彼女たちのリーダーにそっくりで、だからこそ陽平は信頼に値すると思うことができる。
「水衣」
 名を呼ばれ、隣りの新しい友人に目を向ければ、少しだけ晴れやかな表情を見ることができた。
「水衣。そのときは、また一緒に叩いてくれますか?」
 不意に、瑪瑙が笑顔を見せた。
 それは、初めて瑪瑙が見せた、年相応の少女の顔だった。
 そんな顔もできるのかと安心すると同時に、その姿を自分に見せてくれたことが嬉しくて、水衣は思わず瑪瑙の頭を撫でていた。
「そのときは、みんなで叩けばいいわ」
 さりげなく酷いことを言ってのける二人の少女に、転がったままの屍がなにやら訴えているようだが、あえて無視することにした。
 確かに、志狼ほど打たれ強くない陽平では、今のような攻撃を受け続けるのは自殺行為に等しい。
 だが、それでも陽平には身を捧げてもらわねば困る。少なくとも、彼が瑪瑙の苦しみを取り除けるその日までは。
「瑪瑙、エリィたちのところに行きましょう。きっと歓迎してくれるわ」
「……はい」
 友達というよりも、姉妹に見えなくもない二人は、どちらからともなく指を絡め合う。
「あなたも、いつまでも寝ていないでちゃんと来て」
 未だ、ダメージから立ち直れない少年に追い討ちをかけるのを忘れずに、二人は歩き出す。
 自分のこと、すぐに変えることなんてできないけど、それでも少しずつ変わっていけたらいいと思う。
 隣りの少女を想いながら、水衣はみんなになんて紹介しようかと、そんなことばかり考えていた。
 最初の一言は、もう決めてある。
「水衣?」
「これからもよろしく。親友」
 この日、二人は公私の認める親友になった。
 心を許し合える、友達として。













<お ま け>