某日。ジャンクさんの営むバーにて、飲食をしているが、一向に外す気配はない。
 手にしたノートにそんなことを書き込み、エリス=ベルことエリィは小さく溜め息をついた。
 ノートの大半は同じようなことが記入され、これがなにかの観察日記であることを容易に物語っている。
 もっとも、それがなにを観察しているのかまでは書かれていないのだが、彼女の行動の全てを物語るかのように、その対象は今もエリィの視線の先にいた。
 勇者忍軍と共にここラストガーディアンに乗り込んできた、黒衣の青年釧=B
 彼は遠くから見ても彼だとわかる、身体的……もとい、外見的特徴があった。
 それは、誰が見ても彼の特徴として捉えるだろう、左の顔半分を覆う銀の仮面。
 それを外した所を見た者はなく、同じ世界から来た勇者忍軍の面々も、仮面の下がどうなっているのかは誰も知らないという。
 唯一、というか唯二、昔の彼を知る妹、翡翠と、巫女、孔雀。
 二人の証言からは、なにか変わった事があるという情報は得ることができなかった。
 仮面をつけている以上、その下には何か隠している物がある。隠されれば、自然とその中身を知りたくなる。探究心は、いつだって文明を進化させてきたのだ。
 だからこうして、エリィは釧が仮面を外す瞬間を、今か今かと待ち構えている。
 それが、半ばストーカー的な行動であっても気にすることなく。







エリィのマル秘ノートより・・・







 一週間の調査では、寝る時も、食事の時も、お風呂の時も仮面を外していない事がわかった。
 さすがにお風呂まで覗きに行ったときは痴漢……もとい、痴女に間違われそうになったが、そんなことでめげてしまうエリィではない。
 釧に感づかれないよう気配を殺し、変装用のサングラスまで装着して、ストーカーというよりもスパイのような動きで彼の行動を監視し続ける。
 どうしてそうまでして、仮面の下が気になるのか。それはエリィの釧に対する想いもあっての行動であった。
 翡翠の兄でありながら、彼は妹を突き放す物言いをし、極力人と接することを拒む傾向にある。
 仲間を作らず、唯一人で突き進もうとするその姿は、仲間や友達を大切にするエリィにとって、酷く儚げに見えた。
 しかし、そんな彼を追いかけているウチに分かったこともある。
 彼は突き放しておきながら、その実、突き放した相手ほど大切にしている傾向にある。
 それはつまり、愛情の裏返し。
 そんな釧を見ていると、何故かお兄ちゃん≠ニいう単語が頭に浮かび、いつしかその単語はエリィの脳内でのみ再生されるようになっていた。
 ぶっきらぼうだが、実は誰よりも優しいお兄ちゃん。そんな幻想を釧に抱いていたのかもしれない。
 釧の好敵手である風雅陽平や、エリィの幼馴染みの御剣志狼にそれを言ってみたら、これでもかというほど笑われたのだが、おそらく二人は本気で笑ってはいなかった。
 エリィならばひょっとしたら、と期待しているのかもしれない。
 期待されているならば、エリィのやる事は唯一つ。
 釧と仲良くなり、彼を仲間という輪の中に溶け込ませてみせる。
 燃え上がる炎を背負い、これでもかというほどのやる気をアピールして見せるのだが、残念ながらこの場にはエリィしかいなかった。
 非常に長い前置きになったが、結局は仮面の下に隠されているものが、釧が心を閉ざすきっかけなのだとしたら、それを知ることで釧の心を開くことができるかもしれない。それがエリィの考えだった。
 ちなみに前調査として、釧のパートナーメカである黒い獣王カオスフウガにインタビューを行ったところ、見事に冷たい視線だけを頂戴している。
「あれ、くっしーさぁん」
 いきなり見失ってしまった。
 よもややる気を見せた途端に挫折してしまうことになるとは夢にも思わず、エリィは「失敗失敗」とお気に入りのリボンを人差し指で引っ掻いた。
 仕方ない。もう一度、釧を探すところから始めよう。
 そう思って駆け出したエリィが角を曲がった瞬間、突然現れたなにかに正面衝突した。
 とは言っても、別に怪しい物でも硬い物でもなく、エリィの突進は優しく受け止められ、転ぶことも怪我をすることもなく、エリィは目の前の物を見上げた。
「何をしている」
 少し不機嫌そうな声でそう告げるのは、エリィがたった今見失った青年、釧だ。
 尾行に気付かれてはいなかったはずだが、ひょっとして名前を呼んだのが間違いだっただろうか。
「ここ数日、いったい何をしている」
 残念。バレていました。
 バレているなら話は早い。正攻法に切り替えて、再アタックを開始する。
「くっしーさんが仮面を取ったとこ、見てみたいな〜♪」
「断る」
 即行で拒絶されました。
 だが、ここで諦めるくらいならお風呂まで覗きに行ったりはしない。
 拒絶された方が、探究心という物には火がつくのだと父、エリクも言っていた。(ホントか?)
「じゃあじゃあ、何で仮面つけてるか教えてくださぁい♪」
「断る」
 またしても即行で拒絶。ひょっとして嫌われているのかも。などと泣きそうになりながらも、エリィの闘志はまったく萎えてはいなかった。
「えー! ちょっとくらいいーじゃないですかぁ!」
 不満たらたらに文句を言ってみるが、やはり効果なし。
 難攻不落の釧城。やはり一筋縄ではいかないようだ。
「ケチー!」
 そんなことを口にしながらも、エリィは次の手、さらにその次の手を頭の中で用意していく。
「なぜだ」
 唐突に反応が変わり、エリィは思わず「へ?」と素っ頓狂な声を上げる。
「なぜ、俺の仮面の下が気になるのか、と聞いたんだ」
 ここで本当のことを話したとして、釧が素直に仮面の下を見せてくれるとは思えない。ならばここは、あえて隠し通すのみ。
「アンケート調査で〜……」
 笑顔で切り返すが、釧の放つ、無言の圧力に言葉が続かない。
 しかし、こうして睨まれていると良くわかる。少なくとも、釧の左目は見えているらしい。
 しっかりとエリィを捉えて放さない釧の視線が、真正面からぶつかってくるのが分かる。
 取り繕ったような言い訳では通用しない。ならばここは嘘で塗り固めてみるとしよう。
 腕を組むようにしておいて、右手は立てる。このとき、右手の指は遊ばせておくのがポイントだ。更にしな垂れるような感じで身体を少し傾けておくと尚良い。
「それは、ある晴れた、日差しの強い朝のことでした……」
「前置きはいらん。話す気がないのなら勝手にするがいい」
 取り付く島もない。
 立ち去ろうとする釧を慌てて押し止め、エリィはつけていたサングラスをようやく外すと、それを釧に手渡した。
「くっしーさんの、サングラスつけた顔が見てみたいな〜……なんて」
 徐々に語尾が弱くなるエリィに、釧は訝しげな視線を向ける。
「エリス=ベル。遊び相手なら他を当たってもらおうか。俺に……付きまとうな」
 吐き捨てるように告げる釧の言葉に、エリィは自分でも気付かぬうちに釧の腕を捕まえていた。
 振り解こうとする釧を相手に、エリィは真剣な面持ちで頭を振る。
「遊びなんかじゃ……ない!」
 ようやく真剣になったエリィに溜め息をついた釧は、振り解こうとしていた腕を下ろし、エリィにサングラスをつき返す。
「ならば聞こう。キサマの真意とやらを」
 息が詰まりそうな沈黙が続く。だが、ここで目を逸らすわけにはいかない。
「私は、ただ、くっしーさんを一人にしたくないだけで……!」
 言ってしまってから、しまったと後悔した。だが、こうなればもう正面突破しかない。
「私は、くっしーさんのこと友達だと思ってる。けど、くっしーさんは?」
 彼は一度として、彼女をエリィと愛称で呼んだことはない。
 彼が他人を呼ぶとき、決まってフルネームで呼ぶのは、どこか人を遠ざけている気がしてならなかった。
「仮面を取って欲しいのは外見のことじゃない。くっしーさんの心の問題なの!」
 真正面から叩きつけた言葉が、すべて釧に届いたかはわからない。でも、少しでも届いてくれれば何度でも繰り返すだけ。  だが、エリィの予想とは裏腹に、釧は小さくため息をつくと僅かに歩み寄ってきた。
「キサマは俺を恐ろしいとは思わんのか」
「くっしーさんがやさしいの、みんな知ってるから」
 間髪入れずに答えると、釧は少し疲れた様子でエリィの頭に手を置いた。
「ぇ……」
 突然のことで一瞬パニックになりかけたが、なんとか踏みとどまると釧の一挙一動を逃さないよう必死に観察する。
 いったいどういうつもりなのだろうか。こんなこと、実の妹にだってしているところを見たことはない。
 エリィが必死になって自分を落ち着けている姿が滑稽だったのか、急に口元を緩める釧にエリィは気恥ずかしそうに頬を赤らめながら抗議の視線を向ける。
「わからんヤツだ。だが、俺はお前という人間を、そう嫌いではない」
「へ?」
 今度は間違いなくパニックに陥った。もしもこれが彼の罠だというのなら、彼は間違いなく結婚詐欺師にでも転職した方がいいだろう。
「それに、お前は俺を一人と言ったが、残念ながらここの連中は俺を一人にはしてくれん」
 そういえば、彼がジャンクさんのバーで、カウンター席に腰掛けている姿を何度も見かけた気がする。
「だから、お前が心配するようなことはひとつもない。わかったら幼馴染のところにでも行ってやれ、エリィ(・・・)
 そう言って頭をぽんぽんと二度ほど叩き、いつもと変わらずすたすたとその場を離れていく釧に、エリィはぽかんとした表情で見送るよりほかなかった。
 今、何が起こっていたのだろうか。正直、混乱した頭で理解できるような出来事でなかったのだけは確かだ。
「くっしーさん……今、エリィって」
 思いがけない前進だった。まさか、愛称で呼んでもらえる日が来るとは思っていなかっただけに、その喜びはひとしお。
 結局、この日は志狼が迎えに来るまでの間、エリィは誰に声をかけられてもにやけたまま硬直していたという。






 後日、エリィが釧のことを「おにいちゃん」などと呼んでいる光景が何件も目撃されているが、それが釧の公認であるかどうかは、結局のところ定かではない。
 ただ、彼女の観察日記最後のページにだけは、大きく一歩前進≠ニだけ書かれていたそうな。