人工島アクアワード。その一番外側に位置するここ、シーサイドパーク遊園地は今日も今日とて超満員。
一番の人気を誇る、アクアワード内ならどこからでも見えるという巨大観覧車は、乗るだけで2時間近く待たされ、その他のアトラクションもまた、どれも人の壁の向こうにある。
そんな場所に、今日は珍しい組み合わせの姿があった。
御剣志狼の幼馴染であるエリス=ベルことエリィと、風雅陽平の守るべき主君、翡翠である。
本来ならば休日であっても彼らと一緒に過ごす彼女らだが、今日ばかりは2人きり。
あちらはあちらで、今頃、男2人で友情を深め合っていることだろう。
「ひと、いっぱい」
驚きの声をあげて自分を見上げる翡翠に、エリィはうんうんと笑顔で頷く。
なんだか小さな妹ができたようで、嬉しさと心地よさからエリィの頬が自然と緩んでいく。
「いい? ここから先は戦場。絶対に手を離しちゃダメだからね!」
「ん!」
そんな冗談じみた言葉に、翡翠は力いっぱい頷いてエリィの手を取った。
とても小さな手だった。握れば包んでしまえそうな少女の手。この手が、いつも狙われなければならない立場であったのかと悲しい気持ちがこみ上げてくる。
「えりー?」
「ん〜、なに?」
この透き通るような目に、心の底まで見透かされたような気がした。
しかし、見上げる翡翠は結局何も言わずに頭を振る。
この子は確かに年齢以上に幼く見えることが多い。でも、人に対する優しさや気配りはひょっとしたら年齢以上に大人びているのかもしれない。
「翡翠ちゃん、今日は陽平くんいないけど、私がついてるよ!」
「…ん」
「だから、いっぱい甘えてくれていいからね?」
エリィの言葉に、一瞬驚いたような表情を見せた翡翠だったが、すぐに笑顔に変わると繋いだ手に頬をよせてくる。
「それじゃ…、いくよっ!!」
「おー!」
2人は仲睦まじく手を握りあい、人で出来た壁へと突入を開始した。
『勇者のいない休日』
いくら有名で人気があろうとも、さすがに最初から込み合った観覧車はないだろうということで、まずは待ち時間が短そうなアトラクションを探す。
各所に置かれた電光掲示板式のマップに、2人で両端から目を通していく。
2時間、1時間、1時間半、1時間、50分…。
気づけばマップの中央で2人は同じところを見上げていた。
「スカイバイク…」
「10ぷん…」
内容は、高い位置にあるレール上で、必死に自転車を漕ぐというだけのよくある乗り物。
しかし、待ち時間は確かに惜しい。
「えりー、これきらい?」
「そんなことないよ。あ、翡翠ちゃんは遊園地とか初めてだっけ?」
しかしながら翡翠は小さく頭を振る。
「ようへいとでーとした」
最近の子供はマセているというかなんというか。それ以前に、陽平に対して少し見方を変えるべきだろうかと一瞬悩んだ瞬間であった。
「でも、それ、してない」
「よ〜し、じゃあ今日は私とデート。陽平くんのときよりう〜んと楽しませてあげるからね!」
「うん!」
嬉しそうに笑う翡翠の手を引いて、エリィは駆け足で目的地を目指す。
少し走る速度を落とした方がいいだろうかと思ったが、なかなかどうして。翡翠はこう見えて運動神経がいいらしい。おそらく同年代の子供たちの中では群を抜いているのではないかと思うほど。
物事を教えても飲み込みは早いし、運動も出来る。そして素直でかわいい。なるほどとエリィは内心で頷いた。
確かに陽平でなくてもそうそうほおってはおかないだろう。
「えりー、どうしたの?」
「翡翠ちゃんがかわいーって思ってたの♪」
走りながらでなければ抱きしめていたかもしれない。それくらい翡翠は眩しく見えた。
「はぁ〜、疲れた〜…」
「…ん」
あれからどれだけの乗り物を回っただろうか。
とりあえず体力の限界が近づいた2人は、こうしてジュースを片手にベンチに座り込んでいた。
喉を潤す甘いジュースに、笑顔の2人は同時に顔を見合わせる。
「翡翠ちゃんってすっごく美味しそうに飲むね〜」
「えりーも」
また2人で笑い出す。
「えりー、いっぱいさけんでた」
「あ、あれは怖かったんじゃなくて、そうした方が楽しいから!」
「そうしとく」
笑顔を絶やさずに再びストローを口に含む翡翠に、エリィは悔しそうに、それでも笑ったまま頭を抱きしめる。
「あー、お姉さんいじめちゃダメなんだぞ〜!」
「えりー、のめない」
「だ〜め」
くすぐったそうに目を細める翡翠を解放し、エリィはひと息ついて周囲を見回した。
相変わらず人の数が減ることはない。しかし、なぜかずっと違和感を感じている場所があった。
単純な話、どういうわけかその部分だけ人が避けるように通り過ぎていく。
翡翠も同じように感じたのか、エリィと同じ場所──ホラーハウスへと目を向けている。
「えりー、なんであそこいかない?」
「工事中かな?」
見たところそんな看板があるようには見えない。張り紙でもしているのだろうかとも思ったが、誰もホラーハウスを目指してこないことから、最初から近づく気がないということが窺える。
「いこ」
そう言って差し出された手を、エリィは取ることができなかった。
首を傾げる翡翠に、エリィは乾いた笑みを浮かべる。
これはあまり知られていないことだが、その実、エリィはそういったホラーの類が大の苦手だったりする。
普段、持ち前の明るさからそういったことはないように思われがちだが、TVを見ていてホラー番組のCMが映った瞬間、その場から消えているといったほど。
「え〜っと…」
珍しく歯切れの悪いエリィに、翡翠は合点がいったとばかりに頷いた。
「こわい」
ビクッ!!
エリィの肩が大きく跳ねる。顔は蒼ざめ、額から滝のような汗が流れ落ちる。
「えりー、いっしょにあいすくりーむたべよ」
「にゃ?」
満面の笑みを浮かべ、ぐいぐいと翡翠に手を引かれる。
すぐ近くの売店には向かわず、反対側の売店を指差しているのは彼女なりの配慮といったところか。
冷たいものを飲んだ後に冷たいものを食べるのはあまり褒められたものではないが、食べたいならば仕方がない。
つられて走り出すエリィは一瞬だけ振り返るものの、すぐに気を取り直して翡翠を追いかけた。
「いいカンをしている…」
左半分を覆う銀の仮面をつけた男は、自分が明らかに周囲から浮いた存在であることを気にする様子もなく、先ほどまでエリィと翡翠の座っていたベンチに歩み寄る。
行動に支障がない程度に気配を絶ち、ずっと2人の後をつけてきていたが、ことあるごとに振り返るエリィを見ていると、わざわざついてくる必要もなかったかもしれないという気がしてくる。
しかし先ほどから感じる視線はいったいなんなのか。カメラのような機械的な視線ではないのだが、確かにこのシーサイドパーク全体を見ている視線がある。
機械に意思はない。しかしこの視線には強い意志を感じる。
「あそこか…」
人並みの向こうにあるホーラーハウスに鋭い視線を向け、足を向けた瞬間──
「なに?」
仮面の男、釧は驚愕を表情には出さず静かに振り返る。
今、自分は確かにホラーハウスにいこうとしたはずが、いつの間にかまったく見当違いの方へと歩みを進めている。
再びホラーハウスと向き合い、足を出そうとした瞬間、釧は確かな声を聞いた。
『こないで』
動きを止め、周囲に気を配るがなにかがいる気配はない。
いや、正確には気配がありすぎて今の声の主を特定できずにいる。
(今のは…)
ふと、背後に近づいた気配に、釧はその場を立ち去ろうとするがもう遅い。相手がこちらに声をかける方が早かった。
「くっしーさぁ〜ん!」
周囲の目が痛いほどに大声で、しかも誰にも呼ばれたことのない名で呼ばれ、釧のこめかみがピクリと震える。
「あにうえ!」
足音が2つ。先ほどの2人がなにを思ったか、ここに戻ってきたのだろう。
気になることがあったとはいえ、姿を見せたのは少々迂闊だったと後悔する。
翡翠は陽平にするように釧に飛びつくようなことはない。ただ、彼が振り返るのを待ってから笑顔を向ける。
そんなやりとりを不思議に思いながらも、エリィは勤めて明るく声をかける。
「くっしーさんも来てたんですね〜♪」
釧は応えない。
そう。応えないが彼がこんな場所に1人で来るとは考えにくい。それこそ、この場所になにか重要なものでもないかぎり。というか、そもそも遊園地は1人で来るような場所ではないはずだ。
だとすると、釧がここにいる理由で最初に思いつき、かつ可能性が高いものといえば、翡翠の護衛以外にない。
しかしこのまま声をかけあぐねていると、釧がまた姿を消してしまうかもしれない。
本当ならば彼と一緒にいたいと思っているはずなのに、翡翠は絶対にそのことを口にしようとはしない。ならばここは自分がなんとかするべきだろうと、エリィは釧をじっとみつめる。
見ようによっては睨んでいるように見えなくもないエリィに、釧は少々訝しげな視線を向けた。
「やっぱりこのままだとアレだし…」
ふと目に入った売店では、ここシーサイドパークのイメージキャラクターであるお菓子の海賊≠スちの衣装が販売されている。
とりあえず釧は仮面が目立たないようにすればいい。その考えにいきついた瞬間、エリィの目が怪しく光を放った。
数分後 ──。
先ほどのベンチに座り、エリィは翡翠の髪を結っていた。
なんでもエリィの髪型が気に入ったらしく、しきりに髪のことを聞いてきたので「じゃあ、翡翠ちゃんもやってみる?」ということで現状に至る。
それ以上に目を引いたのは、2人の格好であった。
先ほどまでとは違い、エリィは短パンと裾をへそより上で結んだシャツ、そしてバンダナ。腰には大きく曲がった剣が吊るしてある。翡翠は、短パンに水兵服、そして大きなリボンがいつもならエリィのトレードマークであるサイドテール(?)に結われている。
共に、お菓子の海賊団である副長・稲妻のエクレール≠ニ海賊アイドル・キャンディー≠フ格好である。
ちなみに、エリィはバンダナを巻くのに邪魔だということで、翡翠本来の髪型を拝借し、後ろで大きく2つに分けて先で結っている。
「これでよ〜し♪ 翡翠ちゃん髪長いし、量もあるからすぐにできちゃった。それに細くてさらっさら♪」
髪の毛を掬われ、くすぐったそうに首をすくめる翡翠は、エリィの髪にそっと指を伸ばす。
「えりーも、にあってる」
「ありがと♪ 丁度とりかえっこだね〜」
「ん!」
満面の笑みで頷く翡翠。つられるようにエリィも自然と笑顔が満ちていく。
それはそうと、このやりとりをしばらく黙って見ていた、いや、見せられていた人物がいた。
袖のところが破れたシャツが特徴的で、尚且つ頭に巻くはずのバンダナを左半面を隠すように巻いている。腰にはやはり刀が吊るしてあり、それがお菓子の海賊力自慢のクランチ≠フ格好であるとすぐに気づいた者も多いだろう。
ただ、その姿をしているのが釧であるだけで、こうまでキャラのイメージが変わるものかと痛感させられる。
力自慢というよりも、性格の悪い斬り込み隊長とでも言うべきか。
そもそも、性格の悪い〜≠フ部分は、彼が今、とても不機嫌そうな表情をしていることが原因なのだ。
全身から湧き上がる不機嫌なオーラに、エリィは苦笑を浮かべるが、すぐに傍まで駆け寄ると上から下まで釧の姿をチェックする。
「くっしーさんおっけぇ♪ これで普通にしてても怪しまれない、ないない♪」
確かにこのシーサイドパーク内では怪しまれないかもしれないが、そもそも姿を消せばいいのだからこんなことをする必要はないはずだ。
(しかし、なぜ俺は…)
確かにエリィに勧められはした。しかし断ったはずなのだ。半ば強引に手を引かれ、いつの間にか自分はこんな格好をさせられていた。
手を振り解くことだってできたはずなのに、なぜ自分はそれをしなかったのか。
「さてさて。くっしーさんは真ん中ってことで〜…」
エリィは釧の右に翡翠を、左は自分が腕を組んで並び立つ。
身長の関係上やや問題はあるものの、これで見事に両手に華である。
「ささ! 今から乗り物、全部制覇しちゃうからね〜♪」
「おい…」
ややうつむき加減でエリィに抗議の声を漏らす──
「翡翠ちゃん、どれがいい? やっぱり少し暑くなってきたし急流滑りなんてオススメだよね〜♪」
──が、聞こえていないらしい。
「キサマ…」
「さてさて、傾斜角60度のスーパーウォータースライダー! いかほどのものかぁ〜♪」
「れっつごー♪」
翡翠のその言葉が聞こえた瞬間、釧は己の身体が既に固定されていることにようやく気が付いた。
なにかのゴンドラだろうか。両サイドにいる少女たちは楽しそうな声をあげ、そして自分は…
「なに!?」
いつの間にか急流滑りのゴンドラの上。
釧が珍しく驚きの声を上げた瞬間、ゴンドラはとてつもない高さから一気に駆け下りた。
さして辛くもないが、身体が僅かに後ろへ押し返される。そして瞬く間に派手な飛沫が視界を覆った。
「あははははは♪ びしょびしょだね〜!」
「これ、つかわないから」
本来、飛沫避けに使うはずのシートを誰も手にしなかったため、3人は濡れ鼠のような姿に。
係員にタオルをもらい、身体を拭きながら釧はひとつ溜息をついた。
自分はいったいなにをやっているのだろうか。そんな思考がぐるぐると頭を渦巻いていく。
「あははは♪ くっしーさんのこんな顔、初めてみた〜♪」
「きねん♪」
「そうだね♪ 買っちゃお〜♪」
気づけば2人はロクに身体も拭かずに大型ディスプレイに映った写真を眺めている。
代金を支払い、受け取った写真を見て笑う2人を見ながら、釧はどこか懐かしい気持ちに囚われていた。
(なにをバカな…)
頬の筋肉が反応したのがわかる。どうやら珍しいことに、自分は笑っているらしい。
嘲笑か、苦笑か、どちらにせよこんな顔を見られるわけにはいかない。
今ならここを立ち去ることができるはずだ。そう思い踵を返した瞬間、両方の腕に僅かな重みがかかる。
「くっしーさん、逃がさないよ〜♪」
「あにうえ、いっちゃ…だめ」
「ほら、翡翠ちゃんもこう言ってることだし〜、ね?」
エリィの言葉は聞かないにしても、翡翠がこうして自分の手を取るのは久しい。
再開したあの日、駆け寄った翡翠を突き飛ばしたことから兄妹の関係には大きな溝ができたと思っていたが…。
「お、心が揺れましたカナ?」
とりあえずエリィは置いといて…。
「翡翠」
静かに名を呼ばれ、不安そうに見上げる翡翠の腕から力が抜ける。
「今日だけだ」
一瞬、なにを言われたのかわからなかった翡翠を、エリィが突然抱きしめる。
「良かったね〜!! くっしーさん一緒に遊んでくれるって〜♪」
「あにうえ…ほんと?」
「ホントだよ、ホント〜♪」
どうしてお前が応えるんだという言葉を飲み込み、釧はできるだけ表情を変えずに塗れた翡翠の髪にタオルを乗せる。
「じゃあじゃあ、くっしーさんのオゴリとゆーことで!!」
何故そうなる。
「とにかく拭──」
「というかけでお次はフリーフォールッ!! 翡翠ちゃん、ダッシュだよ♪」
「ん!」
両の手を2人の少女に引かれ、やれやれと内心で溜息をついた釧は翡翠の頭から飛ばされるタオルを見上げていた。
少し気がかりなのは、このエリィという少女の強引さに翡翠がだんだん似てきているような。そんな不安を感じながら、この場に風雅陽平が現れないことを祈るばかりであった。
結局、あれからどれだけの乗り物を行き来しただろうか。
ジェットコースターはもちろん、コーヒーカップやメリーゴーランドにまで乗せられた釧は、珍しく精神的に限界を感じていた。
そもそも、大の大人が海賊の格好をしているだけで目立つというのに、エリィや翡翠に付き合っているだけで数倍の視線を浴びていたように感じる。
「くっしーさん、おつかれさま」
エリィに手渡されたジュースを無言で一口。やはり甘い飲み物は口に合わないものの、乾いた喉を潤すには十分の冷たさだ。
「翡翠ちゃんはこっちね♪」
「ん。あったかい♪」
ホットの紅茶を渡された翡翠は、缶に頬を寄せて笑顔の花を咲かす。
「私のこころだよ♪」
「じゃあ、えりー」
翡翠が抱えていたオレンジジュースを渡され、エリィは腰に手を当ててぐいっと一気に飲み干した。
「つっめたぁ〜い♪」
「わたしのこころ」
「翡翠ちゃん、それ間違ってるから」
わからないといった風に首を傾げる翡翠に、エリィはしょうがないなぁと笑みを浮かべる。
そんな2人を見ながら釧は、ふと思い出した言葉があった。
笑う門には福来る。自分が笑えば自然と周りは笑顔になるものですよ
昔、そんなことを聞かせてくれたヒトがいたが、この少女エリィは、きっと自分が笑うことで皆に笑顔を与える天才なのだろう。
そうでなければ自分がこうして無防備になることなどない。
(やはり、あの艦は俺には眩しすぎる)
まだ、仮面を外すわけにはいかない。自分が光の下で笑うわけにはいかない。
「くっしーさん、まだ大丈夫ですよね? というわけで最後はシーサイドパークの目玉、巨大観覧車にいってみよ〜♪」
そう、笑うわけにはいかない。だが、付き合うくらいならばいいだろう。珍しくそんな曖昧な妥協案を考え、釧は立ち上がった。
3人を乗せたゴンドラは、ゆっくりと揺れながら地上を離れていく。
エリィも翡翠もはしゃぎながら窓の外を見下ろし、時折指をさして笑っている。
「あにうえ、外きれい」
もうそろそろ完全に陽も落ちる。沈んでいく夕日が世界を赤々と照らし、眩しそうにエリィが掌をかざした。
「そういえば陽平くんって、忍者なのに常に太陽と平行にある≠チて意味の名前だよね〜」
本人が気にしていそうなことを思い出したように口にするエリィに、翡翠は大きく頷いた。
「だからね、ようへいあったかいの」
「シローもあったかいんだよ〜。えへへ♪」
志し高き狼。志狼の名を思い出し、釧は剣を手にした少年を思い出す。
なるほど。確かに良く合った名だと思う。
(風雅陽平にないあの目。 俺のようにならねばいいが…)
珍しく他人の心配をしている自分に苦笑し、釧は沈んでいく夕日に目をやる。
この調子ならば頂上にいった頃に完全に日が沈む計算になる。
同じことを考えていたのか、エリィが下を指差して声をあげた。
陽が沈み、暗くなっていく部分が徐々にイルミネーションを灯していく。
「〜♪」
「ちょうどいい時間だったね〜♪」
だが、イルミネーションがある一角に差し掛かった瞬間、突然全ての光が消え、3人を乗せたゴンドラが、がくんっと揺れる。
釧が咄嗟に2人を抱き寄せ、小さな悲鳴を耳にしたまま鋭い視線を地上に向ける。
「故障か…」
「ううん、ここは予備電源も、自家発電システムもあるから停電になっても大丈夫のはず…」
しかし、シーサイドパークは依然、真っ暗な闇の中。
備え付けの小さな窓を開ければ、自分たち以外のゴンドラから悲鳴や罵倒が聞こえてくる。おそらく地上でもそれは変わらないだろう。
「あ!」
翡翠の叫びに振り返り、指差す先に視線を向ける。
恐怖と混乱で無理矢理扉を開けたか、またはこの停電でロックが外れたか、丁度真下に位置するゴンドラから小さな少女が顔を出して地上を見下ろしている。
「えりー?」
見ればエリィがゴンドラの扉をがちゃがちゃと弄り、容易くロックを外してしまう。
「だってこのままじゃあの子が落ちちゃう!」
確かに、ゴンドラの外は強い風が吹いているために、顔を出していればほぼ間違いなく煽られてまっ逆さまだろう。
しかし、それはエリィにだって同じことが言えるはずだ。
己が危険を顧みず、その身を炎に投じるなどバカげた話だと思う。しかし、それが自分の記憶と重なった瞬間、釧はエリィを押しのけて自分がゴンドラの外へと飛び出した。
「あにうえ!」
鋼糸を巧みに飛ばして身体を釣ると、真下のゴンドラに素早く接近する。
だが、次の瞬間少女の身体が突風に煽られてバランスを崩す。
「ちぃっ!!」
自分を支えていた鋼糸を解き、着地したゴンドラを蹴って落ちた少女へと飛び掛る。
追いついた瞬間、片手で少女を抱えるともう片方の手で鋼糸を飛ばす。
だが、無理に落下を止めれば鋼糸など容易く千切れてしまう。近くの柱に絡めると、空中ブランコの要領で大きく旋回し、反対側のゴンドラに屋根に着地する。
もしも明かりがあれば大事になっていたかもしれない。腕の中の少女が気を失っていることを確認すると、先に少女を地上まで送り届けベンチに寝かせておく。
「グリフォン…、2人を迎えにいけ」
釧の呟きに、鳥類にも似た泣き声が応える。
景色に溶け込んだ忍獣ナイトメアグリフォンが飛び上がったのを見届け、釧はある一角へ向かって走り出した。
なにか超常的な、それでいて人為的なものを感じる。それはあのホラーハウスで感じた違和感によく似ていた。
ナイトメアグリフォンに地上まで運ばれた2人は、未だ混乱の冷めぬ人々に絶句する。
見たところ近場に釧の姿はない。おそらく原因を調べにいっただろうことは想像できたが、どこへ移動したかまではその範疇ではない。
「くっしーさん、どこいったんだろ?」
「わかる」
翡翠が首から下げた勾玉を両手で包み込むと、淡い翠の光が溢れ出す。
「あっち」
「ナイスだよ翡翠ちゃん♪」
僅かな光源の中、翡翠に先導されてエリィも走り出す。
何度か人にぶつかったものの、今は足を止めている場合ではない。
そして、ようやく2人が行き着いた場所。そこは紛れもなく釧が目指した場所であり、2人が昼間気にしていたホラーハウスであった。
しかし、周囲に釧の姿はない。もう中に入ってしまったのだろうか。
「あにうえ…」
僅かに動くことを躊躇ったエリィの手から、翡翠の身体がするりとこぼれ出す。
「翡翠ちゃん!」
手を伸ばしたときには既に少女の身体は届かぬ場所へ。
振り返ることなくホラーハウスへと身を投じる翡翠に、手を伸ばしたまま固まったエリィは、開ききった掌をゆっくりと握り締める。
すぐに追いかけたい。でも、足がすくんで動けない。
釧がいるからきっと大丈夫だと思う。その気持ちがあるはずなのに、嫌な予感が先ほどから頭を離れようとしない。
「どうしよう、シロー…」
いつもなら頼れる少年が傍にいてくれるのに、今日に限って彼の姿はない。
何度も足を出そうと試みるが、やはり意に反して身体が動かない。
怖い。そう口にしたらきっと下がってしまう。だからそれだけは絶対に口にはせず、必死に肩を震わせる。
両の眼をぎゅっと閉じ、身体を、心臓を鷲掴みにする恐怖≠ニいう名の蛇に全霊で抗う。
『こないで』
確かに聞こえた声に、エリィの身体が大きく跳ねる。
しかし、今のは自分に対する言葉ではなかった。確証はないが確信はある。
(今の声、怯えてた…)
ひょっとしたら中に入った釧に対する声だったのだろうか。
「…あれ?」
ふと目に入った小さな光。それは今にも消えてしまいそうな蛍のような光。
ホラーハウスのすぐ近くにある植木の根元。エリィは駆け寄ってそれを拾い上げると、驚き、哀しみ、そしてきつく閉じた瞳から涙がこぼれ落ちた。
掌にそれを強く握り締め、エリィは大きく口を開けるホラーハウスの入り口と向き合う。
(シロー、私を守って!)
「待ってて! すぐに届けてあげるから!!」
自分にも、そして声の主にも聞こえるように叫んだエリィは、意を決してホラーハウスへと踏み込んでいく。
ただでさえ恐ろしいホラーハウス。しかし、今は小さな明かりすらない。
一瞬、入ったことを後悔しそうになったが、もしも後悔するならちゃんと届けてからだと自分にキツく言い聞かせる。
だいたい、これは全部作り物なのだ。そもそも、オバケだってこんな姿はしていない。
その考えに行き着いた瞬間、エリィの身体に震えが奔る。
「いい加減、観念したらどうだ。この獣王式フウガクナイはキサマのような外法の者とて斬り捨てる」
刹那、聞こえた声にエリィは思わず走り出していた。
いろんな物にぶつかったが、この際そんなことはどうでもいい。釧を止めなければ。
僅かな光源。そこに辿り着いたエリィは、勾玉の光る大振りのクナイを振りかぶった釧の姿を見つける。
その振り下ろされる先には、自分と同じくらいの年齢の少女の姿が。
「ダメぇー!!」
転がり込むように釧と少女の間に割って入る。
訝しげな視線を向ける釧に頭を振り、エリィはゆっくりと怯えた少女に向き直った。
「これ、探してたんだよね?」
今までずっと握り締めていたものを、淡く発光する少女に差し出す。
それは小さな石のついた指輪だった。ただ、少し普通じゃないのはその石が光っているということ。おそらく発光塗料のようなものなのだろう。光を溜め込み、暗闇で光るといった特性を持つ石。
差し出された少女は、それに触れようと手を伸ばし、触れることなく涙を流した。
指輪の内側に彫られた去年の今日の日付。そして、愛の言葉。
暗くならなければ見つけられなかった光る指輪。そして、愛の言葉でエリィは全てを察していた。
なんらかの理由でこの指輪を、おそらく恋人にもらっただろうこの指輪を、ホラーハウス付近でなくしてしまった少女は、死して尚も探し続けていた。
そして今日という記念の日。彼女は無理矢理明かりを消してまで指輪を探そうとした。
決して、悪意があったわけではない。もちろん混乱を招いたことは許されることではないが、エリィにはそんなこと関係ない。
「これを…持って、早く…帰らなきゃ。新しい恋……できないよ」
まるで自分のことのように涙を流すエリィに、少女は何度も頷いた。
『ありがとう』
少女の顔が、哀しみから笑顔に変わる。
きらきらと輝く粒子が立ち上り、エリィは登っていく少女を追いかけるように立ち上がった。
「こ、これ!」
『あげる』
そう言ってにっこりと笑顔を浮かべた少女に、エリィは自分の掌にある指輪へ視線を落とす。
見れば先ほどまで彫ってあったはずの名前も日付も消え、少女の左手の薬指には同じ指輪が光っていた。
『あなたはなくさないで。たいせつなものも、たいせつなおもいでも、たいせつなじかんも』
その瞬間、光は弾け、エリィはその強い光に意識を手放した。
翌日、エリィはラストガーディアンの自室で目を覚ました。
事の成り行きを聞くため、翡翠の部屋を訪問したエリィは、仲睦まじげに話をする光海と翡翠に笑顔を向ける。
「えりー!」
飛びついてくる翡翠をしっかりと抱きとめ、互いにぎゅっと抱きしめ合う。
「えりー、だいじょうぶ? けがしてない?」
「うん♪ あれ? そういえば翡翠ちゃん…あのときいなかったよね?」
ちなみに翡翠はホラーハウスに入ってすぐ道に迷ったらしい。そもそも、自分がまっすぐ辿り着けたのがおかしいくらいだ。
あの後、気絶した自分と道に迷った翡翠をつれて釧がここまで連れ帰ったらしく、エリィはどこか気恥ずかしそうに頬を染める。
「くっしーさんにお礼言わなきゃ」
釧ほどの腕があれば、あの少女を斬ることなど造作もなかったはずだ。ましてや、飛び込んだ自分をかいくぐって斬ることだってできたはず。それをしなかったのは、やはり彼が優しい一面を持った人物だからとエリィは思う。
光海と翡翠をつれ、釧を探して艦内を歩き回る途中、光海の言葉にエリィは疑問符を浮かべた。
「へ?」
「だから、ヨーヘーと志狼さん、今日の朝帰ってきたの。まったく、どこでなにをやってたのかしら」
朝帰り。世間一般では、朝帰りというものは外泊して、翌朝、家に帰ること。古くは、多く遊郭から帰ることを指したという。
「シローッ!!」
途端にエリィの背中に炎が立ち上る。
「私があれだけ怖い思いをしてたっていうのに…」
「ヨーヘーもよ。 結局なにしてたかなんて教えてくれないし」
「みつみもえりーもおさえる」
3人がそんなやりとりをしていると、突然艦内放送が聞こえてきた。
『御剣志狼、風雅陽平の両名は、速やかにブリッジへ。繰り返す。御剣志狼、風雅陽平の両名は…』
その瞬間、光海とエリィの瞳が怪しく光を放った。
「「ブリッジか…!」」
1人首を傾げる翡翠を残し、2人は全速力でブリッジを目指す。
猛スピードで走り続け、次の角を曲がればブリッジだというところで2人は仮面の男にぶつかって急停止した。
もちろんそんな人物は艦内に釧しかいない。
何食わぬ顔で2人を支えると、釧はエリィに一枚の写真を手渡して立ち去っていく。
「先日の礼だ」
そんな言葉を残し去っていく釧を見送り、エリィは手渡された写真に目を落とした。
そして、続けて覗き込んだ光海と同時に表情が固まっていく。
見知らぬ少女に唇を寄せられる志狼と陽平。なるほど。これが朝帰りの真実か。
「光海ちゃ〜ん♪」
「うん。やっちゃおうか♪」
そんな危険極まりない言葉を口にした2人は、唐突に服を剥ぎ取ると蝙蝠仮面のプロレス少女と、百発百中キューピットに変わる。
「「うふふふふふ〜♪」」
今、怪しげな笑い声と共に、2人の勇者に最大の危機が迫る。
その引き金となったはずの当の釧はというと、珍しく朝からジャンクの店で目撃されていた。
その表情はどこか上機嫌であったという。
ちなみに、その日から志狼と陽平が蝙蝠仮面のプロレス少女と、百発百中キューピットに狙われ続けたことは言うまでもない。