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『人魚シリーズ』

−同じだけど違う二人−







 この世界に来て強く感じたのは、元々自分たちの住んでいた世界よりも自然が多いということだ。
 木々が生い茂るためか空気も澄んでいるし、何より水が綺麗だ。地球でこれだけ綺麗な水辺を探そうと思うと、とにかく文明の息がかかっていない場所に行くしかない。
 陽光をキラキラと反射した海は、さながら宝石を敷き詰めた絨毯のようで、小さな同行者の手を引きながら、エリス=ベルは金色の尻尾のような髪を揺らして瞳を輝かせた。
「うわー♪ すっごい綺麗だよね。翡翠ちゃん、こんなの見たことある?」
 小さな同行者──翡翠を振り返ると、翡翠もエリィ同様に目を爛々と輝かせて海に魅入っていた。
 元々住む世界が違うとはいえ、同じ地球という位相世界から来た二人。感じる新鮮さに違いはないようだ。
「きらきら、きれい」
「だよねー♪ ん〜……これはホントーにいるかもしれないね?」
 ニンマリと不敵な笑みを浮かべるエリィにつられるように、翡翠の目にも好奇心の光が宿る。
「きんぎょ?」
 残念、少し違う。
「あはは。そっちは縁日探した方が早そうだね。金魚じゃなくて、人魚。私たちが探しに来たのは人魚だよ」
 説明をしつつ足元の砂地に人魚を描いていく。
 近年、この地方で人魚の目撃情報が相次いでいるらしい。世界がら、なんでも昔はそう珍しいものでもなかったようだが、今はもうそれらしい姿を見られる程度にしか現れてくれなくなってしまったらしい。
 宝石のように美しい髪と瞳と、聴くものを魅了する歌声を持つ美女。その下半身は魚の姿をした地球では空想上にしか存在しない種族。
 別に見世物にするつもりはないが、それほど美しい美しいと語られるくらいなのだからよほど美しいのだろう。そんな存在に興味をひかれるのは自然なことだと思う。
 緩やかに弧を描く浜辺を歩き、湖のように静かな海を右から左へゆっくりと視線を動かしていく。
 歩みを進める度にサクサクと鳴る足元が気になるのか、翡翠はしきりに足元を見つめている。
 ここだけ、ゆっくりと時間が流れているように感じる。少し戻れば商人たちが忙しなく働き、活気に溢れているというのに、まるで別世界のようだ。
「翡翠ちゃんは、人魚ってどんな子だと思う?」
 エリィの問い掛けに、翡翠の視線が上を向いた。
「およぐの上手」
「うんうん」
 確かに人魚というくらいだ。泳ぎが下手では存在意義を問われてしまう。
「おひめさま」
「人魚と言えば人魚姫だよねー。他には?」
「みぃ」
「みーちゃん? 確かに水を得た魚ってイメージだね。それからそれから?」
「えりぃ」
「そうだね。私だねー♪ ──って、私?」
 思わずノリで聞き返したが、翡翠は間違いないと力強く頷いた。
「ん。今、あっちにえりぃがおよいでた」
 そう言って翡翠が指差すのは、少し背の高い岩が並んだ辺り。
 それよりもだ。エリィ自身はこの場にいるのだが、そのエリィが泳いでいたというのはどういうわけか。
「えっと、私に似てる人……だよね?」
「たぶん。でも、にんぎょみたいに早かった」
「泳ぎが得意な人……かな? 翡翠ちゃん。見に行ってみる?」
「……いく」
 少し逡巡したが、翡翠はエリィと繋がった手を少しだけ強く握り返した。
 エリィ同様に好奇心が強いのか、はたまた勇気があるのかはわからないが、毎度、見た目に反して行動力のある子だと感心させられる。
 何があっても、あの少年忍者が守ってくれるという安心感からくるものなのだろうか。
 翡翠の示した場所までは歩いて10分といったところ。何かあったとしても、翡翠を守りながら仲間のいる場所までは戻れるはず。
 やや慎重な足取りで回り込むように、岩場から距離を置いて二人は近づいていく。
 息を殺し、できるだけ足音を立てないように、互いに人差し指を立てて「静かに」の合図を交わす。
 だが、そんな二人の努力を知ってか知らずか、静寂を破ったのはどこか聞き覚えのある歌声だった。
 大声で熱唱しているわけでもない。マイクを通しているわけでもない。にも関わらず二人の耳に歌声が届いたのは、偏にその歌声に込められた想いの強さゆえ。

 会いたい 会いたいよ あなたに会いたい──
 あなたの声が好き あなたの笑顔が好き あなたの温もりが好き──

 この声の主は恋をしている。なにか分厚く高い壁に妨げられて、その恋が届かないことを嘆いている。
 歌声に込められた想いの強さに、エリィもおもわず涙ぐんでしまう。
 隣の少女に至っては、その感受性の強さからか、はたまた彼女の持つ能力ゆえか、すでにどうしようもないくらいに泣き出してしまっていた。
 その歌声は他人の心に入り込み、感情を強く揺さぶる。まるでセイレーンの伝説さながらの状況に、エリィはいつの間にか声の主を探して走り出していた。
 音を立てないようにとか、気づかれないようにとかどうでもいい。ただ傍に行ってあげたい衝動だけで足場の悪いごつごつとした道を駆け抜けていく。
 周囲の岩に隠れるように、低い岩場に腰掛ける背中が見える。金の髪をさざ波のように揺らし、どこか遠くを見つめている姿は、さながら塔の天辺に幽閉されたお姫様のよう。
 寂しそうで、辛そうで。それでも涙を流すまいと必死に我慢する後ろ姿に、エリィはついつい警戒することなく声をかけていた。
「あの……」
「え?」
 あれだけ走ったのだ。接近には気づかれていたのだろう。
 エリィが声をかけるのと、少女が振り返るのはほぼ同時。そして互いに驚きの表情で固まったのもこれまた同時であった。
 さすがのエリィも、こればかりは予想していなかった。それについても、おそらく相手も同じだったのだろう。困惑の表情のまま、どちらからともなくぎこちない挨拶を交わす。
「こ、こんにちは……だよね? さすがにもうお昼過ぎてたもんね」
「い、いい、お天気ですね」
 自然なはずなのに、なにか不自然な会話をしているようで、どちらからともなく苦笑いで黙り込んでしまう。
「えりぃがふたり」
「ないないない。私が本物だからね?」
 追いついてきた翡翠の言葉に慌てて手を振り否定する。
 別に焦ることもないはずなのだが、なぜか上手く振舞えないのは翡翠の言うとおり、自分が見ても見間違うほどに、エリィに良く似た少女がそこに座っていたからだろう。
 唯一、彼女の下半身だけが、二人を見分ける違いだと言われても、思わず納得してしまいそうになる。
「にんぎょえりぃ?」
 そう。彼女の下半身は、人のそれとは違い陽光を浴びて七色に輝く鱗に覆われている。そして先端は足ではなくいわゆる尾鰭。
 翡翠の言うとおり、まさしく人魚がそこにいた。



*          *          *




「足がちがう」
 翡翠が指を振ると、宙に丸い軌跡が残る。
 それが彼女の生まれ故郷リードの秘術。風牙のひとつ《影牙》であることは明白だ。
 重要なのは、その用途が間違え探しの印付けに使われているという、その一点のみ。
 見るものが見れば、おもわずツッコミを入れずにはいられないだろう。

 なんという技術の無駄遣い──

 翡翠によって人魚の少女の隣に座らされたエリィは、しきりに二人を見比べる翡翠に苦笑を浮かべた。
「あのー。翡翠ちゃーん。どこから見ても、私たち別人だよねー?」
 見れば隣の少女も苦笑のままうんうんと何度も頷いている。
 そんな当事者の声などどこ吹く風。翡翠の描く丸印が、今度は二人の目元に浮かんだ。
「目の色もちがう」
「あはは。完全に間違い探しにハマっちゃってるね」
 現在丸印のついた場所は、下半身、服装、髪型、目の色の四つ。そしてほどなくして胸元に丸印が付けられた。
「「って、そこも違うのっ!? そこのとこもうちょっと詳しくっ!」」
「にんぎょのえりぃが少し大きい」
「ぃよっしゃーっ!」
 随分見た目とのギャップが激しい感情表現だった。
「ひとこと」
 勝利者インタビューのつもりなのか、翡翠に促された人魚は、たわわに実った自慢の果実を揺らして屈託のない笑顔で応えた。
「勝因は生活圏が海の中だったことと、運動量の違いかな♪」
「重力が……重力が悪いのよ」
 がっくりとうなだれるエリィに、翡翠は気にするなとばかりに肩を叩いてくる。
「だいじょうぶ。どっちも大きい」
 その目尻に浮かぶ涙は、果たして誰に向けられたものか。
「ところでさ。その『人魚のエリー』ってやめない? 私にだって《イリエステル=メルクリア=ヴェルガロイア》って名前があるんだからね」
 腕を組み、わざと怒ったように振る舞う人魚──イリエステルに、確かにその通りだったと二人は頭を垂れた。
「「ごめんなさい」」
「うん。よろしい。ちなみに長ったらしいので"イリエ"でいいよん。じゃあ、次は二人の名前も聞かせてよ」
「ふうがひすい、です」
 ペコリという音が聞こえてきそうな翡翠のお辞儀に、イリエは「よろしくねー」と頭を撫でる。
「私はエリス=ベル。エリィって呼んでくれたら嬉しいな」
「エリィ、だね。よろしく♪」
 自分と同じ顔をした人魚と握手した人など前代未聞ではないだろうか。もっともそれ以上に、新たな友人との出会いに、エリィの気持ちは高揚していた。
「ところで。エリィとヒスイはここでなにしてたの? 散歩?」
 イリエの問い掛けに、エリィは翡翠と顔を見合わせて小首を傾げる。
 はて。いったいなにをしていたのだったか。
 微妙な沈黙。おもわず額に指先を当てて考え込むエリィに、翡翠がポン、と手を打った。
「きんぎょ」
「だから金魚じゃなくて人魚……って、あ、そっか。私たち人魚に会いに来たんだった」
 忘れていたと苦笑で向き合うエリィと翡翠に、イリエは怪訝な表情を見せる。
「人魚に? まさか人魚の肉が欲しいっ。とか言わないよね?」
「ないないない。ただ純粋に会ってみたかっただけ。ほら、やっぱりお伽話とかで昔から聞いてるだけに一度くらい会ってみたくてなるでしょ」
「わかるわかる♪ 私も人間に会ってみたくてお城抜け出してきたんだもん。昔は交流があったらしいけど、そんなの何百年前の話よって感じ」
「なーるほど。だとしたら私たち、一先ず用件は果たせたわけだね」
 もっとも。想像していたイメージの斜め上を行くキャラの濃さだったわけだが。
 しかしどうしたことか。先程までは真夏の日差しのような笑顔だったイリエが、突然病気にでもなったように表情を曇らせる。
 何か悪いことを言ってしまっただろうかと会話を思い返す。動画の巻き戻しのように記憶を辿り、そこでようやく自分たちが強く惹かれたイリエの歌声を思い出した。
 今でこそ笑顔を見せてはいるが、先程の歌は強い哀しみが込められていた。
 一瞬、もう一歩深く踏み込むべきか逡巡したが、その間になんの躊躇もなく踏み込んでいたのは翡翠だった。
「いりえのここ、いたい。かなしいうただった」
 そっとイリエの胸の辺りに触れた翡翠の大きな瞳から、とめどなく涙が溢れ出す。
 目に見えない感情や人の持つトラウマ、それら常人にはおおよそ知るよしもない密かなものに触れる翡翠の能力──《手の鬼眼》が、イリエの感情を翡翠に伝えているのだろう。
 突然泣き出した翡翠に、イリエも苦笑で応じるしかなかった。
「翡翠ちゃんの言うとおり。さっきのイリエちゃんの歌は、とても哀しい気持ちにさせられた。歌ってさ、歌い手の感情をストレートに表現しちゃうから、わかるんだ」
「エリィ……」
「差し支えなかったら、教えてほしいな。お互い名前も知ってる。もう見知らぬ他人じゃないんだもん」
「ともだち」
「そう。私たち、もう友達だもん。悩んでたり、困ってたりする友達がいるのなら、助けるよ」
「……ありがとう。エリィ、翡翠」
 イリエの手をエリィと翡翠とで包み込む。そうするだけで、イリエの震えがピタリと止まったような気がした。
「ちょっと長くなるけど、聞いてくれるかな? 私の、恋の話」
 イリエの言葉に、エリィたちは同時に頷いた。
「さっきも言ったけど、私ね、人間に会ってみたかったの。人魚の国に伝わる昔話には、いつも人間が描かれていた。善い人も悪い人も、小さな子供からかっこいい王子様まで」
 それはきっと、人間世界にある当たり前のお伽話のようなもの。
 人が人魚に憧れたように、イリエもまた人に憧れたのだろう。
「私たちとは違って、自由にいろいろな世界に行ける人間。昔はそんな人間たちと交流があったって聞いたら、もういてもたってもいられなくて。私、ついお城を飛び出したの」
 お城を飛び出した。そんなフレーズに、なんとなく嫌な予感がしたのは言うまでもない。
 だが、イリエも必死だったのだろう。自分の世界を拡げたくて仕方がなかったに違いない。それは日頃からエリィも感じていることだから。
「最初はね、遠くから見ているだけだったんだけどね。でも、そんなのは本当に最初だけ。すぐに私は人の傍に行くようになった」
「ホントに行動力あるねー。イリエは」
「あはは。お姫様なんて幻想抱いてる人には、申し訳ない話だけどね」
「そうなの?」
 そう言って小首を傾げたのは、リード星の姫という立場でありながら、地球に来てからというものえらく庶民的になってしまった少女だ。
 そんなことを出会って間もないイリエが知っていようはずもなく、イリエは「そんなものなんだよ」と翡翠を諭すのであった。
「でね。何度目かにこうして歌ってたら、人間に見つかっちゃってね。完全に歌に入りきってたからかな。その人がすぐ近くに来るまで気づかなかったの」
 そのときの歌は、きっと哀しみに満ちてはいなかったはず。
 そう思うと是が非でもイリエの本当の歌声を聞いてみたくなった。
「あのときは魔法を使ってたから、エリィたちみたいにいきなり人魚だってバレずに済んだんだけどね。でも、彼はとても驚いた顔をしてた」
「魔法? イリエちゃん、人の姿になれるんだ」
 やはり人魚姫の物語とは違う。そう思った矢先、イリエは首を横に振った。
「見た目だけ変わる、まぼろしの魔法だよ。中身はヒレだから立つことも歩くこともできないの」
 地上の人間が、物珍しさだけで悪さをしないとも限らない。イリエの言う魔法は、身を守るために覚える必要最低限の自衛手段なのだろう。
「それで。人魚だってバレてないなら、その人間に何かされた……って類の話じゃないよね」
「……んー。されたと言えば、されたのかな?」
「されたの!?」
「うん。すっごい熱烈な……求愛」
 そう言って真っ赤になるイリエを見ていると、なぜだかこちらまで恥ずかしくなってくる。
「私は彼と何度も会ったわ。その度に彼は、地上での面白い話や、凄い話を聞かせてくれたの。わざと失敗して自分を道化にしてまで私を楽しませてくれたの。……本当に、すっごく楽しかった」
 その時間を思い出しているのだろう。イリエは寂しさの中に小さな笑顔を見せる。
 人間に興味を抱いた人魚と、その少女に一目惚れをした人間。二人の距離が一気に縮まったのは想像に難くない。
「でも、それも長くは続かなかった。彼、言ってたわ。とても厳しい家に生まれて、とても厳格な父がいるって。そのお父上が最近私たちのことを怪しんでいるって」
「怪しむって、恋愛は自由であるべきよ。楽しいだけが恋愛じゃないけど、それは第三者がどうこう言うものじゃない。ましてや邪魔するなんて言語道断」
 そう言っておきながらも内心では翡翠のお付きの少年忍者クン絡みの恋愛模様を思い出して、「例外もある」と苦笑を堪えていた。
「仕方ないよ。彼は名家の出で、私は海ではお姫様でも、地上では浜辺でしか会うことができない正体不明の女。身分が違いすぎるもの」
「だーっ! それだけ行動力あるクセに、なんでそこだけ卑屈かな」
「だって、彼に迷惑はかけられないもん。だから私、城にいる宰相に相談しに行ったの。なにかいい手はないかって。彼女、あんまり信用できないけど悪巧みはすっごく上手そうだったからね」
 自分勝手なお願いをしておいてその言い草はさすがにどうかと思わないでもないが、そういう評価の人は確かに存在するものだ。
「結局、すっごい時間はかかったんだけど、宰相に知恵を貸してもらったわ。あるマジックアイテムがあるんだけど、それを使って海の中で彼と会うの。そうすれば家の人には気づかれずに彼と会うことが出来るって」
「でも、それって結局見つかったらダメだって部分を解決できてないよね?」
「うん。だからその相談をしようと思って、久しぶりに地上に来たんだけど彼はここには現れなかった」
 何日も様子を見ていたが、来るのは怪しい別の人間ばかり。
 おそらく、厳格な父とやらに自宅謹慎にでもされたのだろうことはエリィでもわかる。
「あーもーっ! その人も、なんで家を抜け出して会いに行くとかできないかなー。好きなんだったら、そのくらいしてもバチは当たらないと思うけど」
 その相手を悪く言いたくはないのか、イリエはエリィの言葉に表情を曇らせるだけだった。
「イリエちゃんもだよ! 大好きなら押しかけるくらいで丁度いいのに」
「行ったよ。もしも病気だったらどうしようって思ったから。……でも、行けなかった」
「まさか、誰かに邪魔されたの?」
 イリエは頭を振ってそれを否定する。
「怖じけづいたとかじゃないよね?」
「当たり前だよ」
「じゃあ……」
 他に思い当たる理由がない。思わず考え込むエリィの服を、隣でおとなしくしていた翡翠がくいくい、と引っ張った。
「えりぃ。いりえは、あるけない」
 まさかとは思った。でも、イリエが恥ずかしそうに頷くのを見て、物理的に越え難い壁があることを改めて認識させられた。
「一度は這って行くのも試してみたの。でも、結果は散々だった」
「そりゃ、さすがに人魚が這ってたら誰の目にも留まっちゃうもんね」
「……途中で、海岸に打ち上げられたイルカみたいになっちゃった」
 あまりに物悲しく、そして悔しそうに語るイリエに、さすがのエリィも何も言うことができなかった。
 なんというか。どうやって助かったのかが非常に気になる。
「そうなると、イリエちゃんを移動させる方法から考えないとだね」
「いりえを、だっこする」
「あ、それは宰相に相談して、新しいマジックアイテムを借りてるの」
「宰相さん、結構頼りになってるね……。で? 空飛んだりするの?」
「んとね、モノを交換するマジックアイテムなの。つまり、これで誰かに一時的に足を借りたらいいってことだね」
 交換できるという部分に、翡翠がえらく反応した気がしたが、あまり気にしないことにしよう。
「ただ、借りるにしてもいきなり襲い掛かって『ごめんなさい! 後でちゃんと返します!』とかするわけにもいかないじゃない」
「まぁ、そりゃそうだよね」
「結局、足を持ってる知り合いもいなくて、こうして途方に暮れていたってわけ」
 トホホ。と肩を落とすイリエに、エリィも苦笑するしかなかった。
 確かにレンタルするのが足となると、さすがのエリィでも尻込みしてしまう。たとえ確かなマジックアイテムであっても、不安がなくなるわけではないのだから。
 しかし、この子にはそういった不安はないのだろうか。興味津々といった様子で挙手をしたのは翡翠だった。
「わたしもしてみたい! こうかん」
「あ、ありがとう。でも翡翠のじゃ私の体を支えられないんじゃないかな?」
 確かに、翡翠の足が装着されたイリエを想像するだけで、そのアンバランスさは理解できる。
 つまり交換するにしても、自分の体に合った人間の足でなければならないということになる。
 エリィが嫌な予感に頬を引き攣らせていると、案の定、イリエはパンッと手を合わせて頭を下げてきた。
「お願いっ。一晩だけでいいから私にエリィの下半身を預けてっ!」
「やだっ!」
 少なくとも、その言い回しに頷くわけにはいかない。なんでか知らないが、絶対に無傷で返ってくる気がしない。
「なんでよー!」
「言い回しがえっちぃから!」
 断言するエリィに、イリエは思い返すように視線をさ迷わせる。直後、凄まじい勢いでエリィの足元に倒れ込んだ。
「イリエちゃん!?」
「お願い! もうエリィちゃんしかお願いできる人がいないの!」
 どうやら倒れ込んだのは土下座のつもりだったらしい。イリエその体勢のまま額を擦りつける勢いで頼み込んでくる。
 正座という文化のない人達に土下座はこう映っているのだろうか。などとどうでもいいことを考えながら、エリィはその場にしゃがみ込んだ。
「いちおー確認するんだけど、イリエちゃん、彼に会いに行くだけだよね?」
「そのつもりだけど?」
「その……」
 翡翠には聞かれないようイリエの耳元で懸念していたことを囁くと、イリエは金魚のように顔を真っ赤に否定した。
「ないないないないっ! 絶対にないよ! そもそも人と人魚じゃ……その、できないからっ」
「そっかそっか。そーだよねー。あはははは」
 はやとちりを笑ってごまかし、エリィは突っ伏したままのイリエを助け起こす。
「約束するよ! エリィちゃんの足には傷一つ付けずに返すから! だからお願いしますっ……少しだけ私に、エリィちゃんの歩く時間をください」
「……まぁ、友達にそうまで言わせて『嫌だ』なんて言えないよね」
「エリィちゃん、それじゃ……」
「どのくらいの間、貸してあげたらいいのかな」
「彼を探して話ができたらいいから……やっぱり一晩くらいかな」
 一晩エリィがいないとなると、さすがに心配をかけてしまうことになる。特に、この世界に来るにあたって心配のかけ通しになっている幼馴染みの少年には、これ以上無用な心配をかけたくはない。
「……翡翠ちゃん。このことシローやヨーヘーくんには黙っててくれる?」
「ひみつなの?」
「うん。ちゃんと一晩経ったら戻れるから。お願いできる?」
 納得していないのか、または不安なのか、そのどちらとも取れるような翡翠の表情に、エリィは優しく頭を撫でてやる。
「大丈夫。自分で言うのもなんだけど、エリィちゃんとはこんなに似てるんだもん。心配かけないように、私がごまかしてみるよ」
 イリエのフォローに翡翠の表情が疑問に変化した。
「まちがいさがし?」
「そう! シローたちがイリエちゃんと私を見分けられるか試すの」
「……ん。わかった。しろーにはないしょにする」
 多少強引とはわかっていながらも、翡翠が納得してくれたようなのでよしとする。
「そんじゃ、私はどうすればいいのかな。足を交換ってことは、私が人魚になるんだよね。まさか一晩中泳いでるわけにもいかないし」
「うーん……あんまりオススメしたくはないんだけど、一度お城に帰っておいた方がいいかも。パパもごまかさないといけないし」
「パパ……か。イリエちゃんのお父さんだから、海の王様なんだよね?」
「この地方のね。海全体なんて広すぎて、パパには治められないよ。出来てせいぜい島国をいくつかまとめて沈めちゃえる程度なんだから」
 それは十分凄い部類に入ると思うのだが。やはり海の住人たちの基準は陸に住まう者とは違うようだ。
「まぁ、イリエちゃんのお父さんの人となりは会ったらわかるとして。足を交換するだけで海で息できるかな?」
 いくら泳ぎが上手くなったところで息ができなければ、人が海中で生活できるはずもない。
 ひょっとするとイリエたち人魚には、エラ呼吸できる器官が備わっているのだろうか。
「えっとね。鱗を一枚剥がして、首とかに貼っておくだけで大丈夫だよ。人魚の体組織には海に受け入れられる不思議な力が宿ってるから」
「なるほど。じゃあ後は簡単にぼろが出ないように、いくつかの情報交換だね」
「私がぼろ出さなきゃいいんだけど」
「来てる人の何人かに気をつければいいよ。ジャンクさんとかヨーヘーくんとか……」
「わかった。その辺も含めて情報交換だね」
 そんな会話を皮切りに、二人は知人をごまかすのに必要な情報を開示していく。
 かくして、この異世界における、人と人魚の奇妙な入れ替わり劇が始まった。
 だがこのときのエリィは、後にこれが思いがけない大事件に発展するなどとは知るよしもなかった。



*          *          *




 泳ぐこと自体は嫌いではない。むしろ好きな方だと思う。
 ただいつもと違うのは、動かす部分がスラリと長い自慢の足ではなく、七色に輝く美しいヒレだということと、息継ぎの心配をしなくてもいいということだ。
 なんでこんなことに。そう思わないわけではないが、できるかぎり物事をプラスに考えるのがエリィの信条だ。
 ならば今は、この幻想的な光景を存分に楽しむことにしよう。
 ゆらゆらと揺れつづける波が、差し込む陽光で一面ステンドグラスのような世界を作り出している。
 まるで絵本の世界に迷い込んでしまったかのようで、エリィは小さな笑みをもらした。
「元々お姫様キャラじゃないとはいえ、全女性の憧れだもん。やっぱり一度くらいは体験しておかないとねー♪」
 イリエと交換したヒレを一蹴りすると、信じられない速さで水の中を進んでいく。
 なるほど。これは確かに病み付きになる気持ち良さだ。
 なんともいえない浮遊感に酔いしれながら、エリィは海を深く、深く、針路を取る。
 次第に陽光も届かなくなり、辺りは闇色に塗り潰されていく。
 そんな闇の中でも自分を見失わないのは、輝く鱗から溢れる燐光が、ひっそりと周囲を照らしているからだ。
 どれくらい深く潜っただろうか。普通なら酸素量だとか水圧だとかを考えながら進む深度に到達したエリィは、できるだけ自然を装いながら辺りを見回す。
 イリエの話によると、このくらいの深度にまで達した海の住人には、国に続く道が見えるという。
 不意に視界の端で何かが動いたような気がした。
 それは小さな光。
 目をこらして見てみると、それは海底を星空のように彩っていく。
 目が慣れてきたのか、より光の集まる場所へ視線を動かすと、天の川を彷彿とさせる光の道を見つけることができた。
「なるほどー。これが道案内ならぬ案内道か」
 よく見るとこの海の星々の光源は、海中を漂う無数の鱗のようだ。
 ひょいと一枚摘んでみるが、海に受け入れられる体組織を持っているというだけに、鱗そのものに害はないらしい。とくに海中では仲間意識を強めているのかもしれない。明らかにエリィの鱗と共鳴を起こしている。
「海の住人以外は国を見つけられないわけか。うーん、興味深い」
 当初それほど入れ替わりに乗り気ではなかったはずなのだが、見るものすべてが新鮮すぎて、すでにエリィの行動基準は"興味"に書き換わっていた。
 次はなにが出てくるのだろう。そんな好奇心がエリィを先へと進ませる。
 光の道に沿って泳ぎつづけると、少しずつだが周囲が明るくなっていくのがわかる。おそらく目的地が近いのだろう。
 一瞬、なにか背筋がゾクリとする感覚を境に、強い光が辺りを包み込む。
 ようやく暗闇に目が馴れたと思った矢先の目くらましに、エリィはしばらく目を開くことができずにいた。
「いったぁー……。さすがにこれは目によくないよ。せめてワンクッション設けるべきだね」
 そんな海の国に対する改善案をぼやきつつも、ショックから回復した視界で辺りを見回す。
 だが、エリィの不満も視界を埋め尽くす光景を前にしては、文字通り海の藻屑と消え失せていた。
「わぁー……! なにこれ凄すぎる! これみんな建物なんだ。人魚もいっぱいだし、まるでおとぎの国みたい♪」
 眼下に広がる町並みは、珊瑚や貝といった海産物で造られており、彩り豊かな建物が渦を描くように中心に向いている。
 街の中心には一際大きな巻貝が鎮座しており、それがこの国のお城であると一目でわかる。
 三叉戟を手にした人魚たちは、おそらくこの国の衛士なのだろう。いたるところに常駐しているのを見る限り、地球でいう街の警察官なのかもしれない。
 建物が大小様々なのは、地上に近い文化形態だからなのだろうか。
 もう少し近くで観察しようと思った矢先、なにか嫌な予感がしたかと思うと、あっという間に三方から三叉戟の人魚たちに囲まれてしまった。
 好奇心が警戒心を緩めていたかもしれない。馴れない海の中ということもあったのだろう。これほで接近されるまで気付けなかったことに、エリィは唇を噛んだ。
「どうかそのまま動かないでいただきたい」
 衛士の一人が告げ、残り二人が左右からエリィの腕を捕る。
 さすがのエリィもこれでは抵抗しようがない。
 なにか逃げる手段をと辺りを見回していると、衛士の一人が溜め息混じりにエリィの前に進み出た。
「姫様、さすがに今回のは悪戯が過ぎます。陛下も大変お怒りでしたよ」
 姫様に対してお小言を言う辺り、どうやらこの衛士は普段からイリエを探し回る役目を担っているのだろう。
 思わず労ってやりたい衝動に駆られるが、今はエリィがその姫様なのだ。残念ながらそういうわけにはいかない。
「パパが心配……ね」
「ご自身で確かめていただくのが最善かと。申し訳ありませんが、このまま王宮までご同行いただきます」
「わかったわよ。戻ればいいんでしょ」
 わざとらしい溜め息をついて、エリィはフイッと顔を反らせた。
 なんだかんだ言っても結局は別人。少しの違いに気付かれたらすぐにぼろが出る。親しい者とはできるかぎり顔を合わせないが吉だろう。
 三人の衛士たちに連行されて向かうは、案の定街の中心にそびえ立つ巨大な巻貝の建物。
 実にメルヘンな王宮だとは思うが、果たして海の国に不慣れなエリィが、あそこから無事に脱出することができるだろうか。
 夜が明ければ城を抜け、再び目印らしい目印もない海を泳いでイリエに合流しなくてはならない。
 沸き上がる不安に眉をひそめるも、最悪の事態を想定して髪に隠し持ったBウォッチにそっと触れる。
 その感触が、仲間との繋がりが、エリィの不安を僅かながら解きほぐしてくれる。
 大丈夫。なにがあっても自分は大丈夫。そう自分に言い聞かせる。
 とにかく今は黙って情報を集める以外にない。
 いざ逃げ出そうというときに道に迷ったでは話にならない。
 通った場所を何度も反芻して意識づけ、衛士の数と配置を頭に叩き込んでいく。
 そうこうしている内に、エリィは巨大な赤茶色の扉の前まで連れてこられていた。もっとも扉というよりも門と呼ぶ方がそれらしいサイズなのだが。
 その恐竜でも通した方が正確だろうサイズの扉は、正面を守る二人の衛士によって開かれていく。
 目に見えて重たい扉を、どうしてわざわざ全開にする必要があるのだろうとどうでもよさそうな感想を抱きながらくぐり抜けると、先に続く部屋の広さにエリィは溜め息にも似た感嘆の声を漏らした。
「ほへ〜……」
「姫さま?」
 訝る衛士に背筋が冷たくなる。イリエならばこの部屋は見慣れているはず。ここで驚くのは間違いだ。
 慌てて肩を落とし、わざとらしく溜め息をつく。
「なに? なにか文句ある?」
「……そんな溜め息をつかれるほどお嫌ですか」
「答える必要がないくらいにはね」
 苦笑する衛士を残してエリィは部屋の中心へと進み出る。
 あまりまじまじと見られればバレてしまう可能性もある。特に親しい者との長い会話は禁物だ。
 それにしても広い部屋だ。王宮そのものがかなりのサイズだとは思っていたが、この部屋を見れば納得せざるを得ない。
 どこまで進めばいいのだろう。そんな疑問が首をもたげる中、それは突然エリィに影を落とした。
「ようやく戻ったか。我が娘ながら、雑魚のように落ち着きのないことだ」
 遠雷のような芯に響く声に、エリィは意を決してその主を見上げた。
 部屋にそびえる巨大な人型。塔かと思うほど超大な三叉戟を右手に、空いた左手の掌には鬼かと見間違うような凄まじい形相の男を見つけた。
 間違いない。あれがイリエの父親にして、この海の国を統べる王の姿だ。
「……挨拶はどうした」
「た、ただいま戻りました」
 声をかけられるだけで身が竦み上がる。威圧感の塊、そんな言葉が頭を過ぎった。
「イリエステルよ、地上に不穏な動きを見せる者どもが現れたことは知っていよう」
 一瞬、声に優しい雰囲気が混じったのをエリィは聞き逃さなかった。
 やはり親子。娘を心配しない父親はいないということだ。
 だが、ここでヘタに物分かりがいいと、エリィの入れ替わりが疑われるかもしれない。
 演じきるしかない。なんとかこの場を乗り切ってイリエの自室に逃げ込まねばならない。
「聞いておるのか。イリエステル」
「もちろん聞いてるわ、パパ。ウルサイお小言は耳にタコができるくらいに」
 毒づくエリィに父王の表情が強張る。
「弁えよ。ここでのワシは海の民率いる"王"よ」
「はいはい。わかりました、へーか。立場を弁え自室にて謹慎いたします」
 それだけを早口で告げると、エリィはできるだけ王と目を合わせないように脇を通り抜けていく。
 あらかじめイリエに聞いていなければ、この謁見の広間から直接寝室へ行けるなどとは考えもしなかった。
 知らずに入口の扉から出たら最後、行動を怪しまれ、たちまち正体が見破られていたかもしれない。
 内心いつバレるかとヒヤヒヤしたものの、どうにか部屋には辿り着けそうだ。
 逸る気持ちを抑えつけ、すぐそこに見える人間サイズの扉に手を伸ばす……が、結果としてそれは阻まれた。
 扉の陰に潜んでいた人影に腕を掴まれ、エリィの肩がビクンと跳ね上がる。
「姫さま。私でございます」
 その優しげな声音で耳打ちする焦げ茶色のローブ女は、エリィの知識にあった。
 イリエに相談を持ち掛けられ、いろいろと力を貸したというこの国の宰相その人だ。
 顔が陰るほど目深に被ったローブは異様な怪しさを放っているが、声音は驚くほどに優しい雰囲気をもったしゃがれ声だった。
「どうやら無事に帰られたようで。なによりでございます」
「あ……。そ、その節はありがとう」
「いえ。私も姫さまのお役に立てたこと、至福と感じております。……ときに姫さま。お貸ししたマジックアイテムはどうなさいましたか」
 エリィの心臓が先ほどにも増して跳ね上がる。
 一瞬、宰相の口元が怪しげな笑みを浮かべたように見えたが……。
「あ……あれね。もう少し貸しててくれる? まだ使う予定があるから」
「左様でございますか。では、もうしばらくは姫さまにお貸ししましょう」
 そう優しげな声で答える宰相に、エリィは苦笑で応じるほかなかった。
 本当に彼女は、笑っているのだろうか。
 表情の見えない相手だけに勘繰るのは仕方のないことかもしれないが、どうにも怪しげな、いや、それ以上に不気味な印象を受ける。
 まるで言葉を交わす度に、別人を相手にしているような……。
「ごめんなさい。私、謹慎を言い渡されているから。これで失礼させてもらうわ」
 一秒でも早く会話を終わらせよう。
 宰相の隣をすり抜けるように扉に飛びつくと、エリィは脇目も振らずに広間を飛び出した。
 後ろ手に扉を閉め、背を預けたまま深い溜め息をひとつ。続けて深呼吸をひとつ。
「このまま真っ直ぐいった突き当たり……だったよね」
 声に出さずとも思い出すことはできる。それにも関わらずわざわざ口にしたのは、静かな廊下がエリィの不安を助長したからだ。
 廊下を進みながら思い出すのは、先ほど言葉を交わした宰相のこと。
 二、三言葉を交わしただけなのに、あの人物に対してエリィの警戒心が敏感に反応を示している。
 イリエの父親はともかく、あの宰相だけはどうにも信用できない。
「やっぱり、早まったかなぁ……」
 今更どうしようもないことはわかっているのだが、どうしても鈍る決心に、エリィはぶんぶんと頭を振って表情を引き締める。
 どちらにせよ、ここで一晩を明かす以外に帰る方法はない。もう腹を括るしかない。
 ようやく扉が見えてきたイリエの部屋に、エリィは新しい友人の表情を思い出しながら小さな溜め息をもらした。



*          *          *




 娘と入れ替わった別の少女が退室した後、海の王《ヴォルベルグ=メルクリア=ヴェルガロイア》は険しい表情をより一層険しいものへと変えていた。
 どうにも娘の雰囲気がいつもと違って見えたのは果たして気のせいだったのだろうか。
 娘もいい加減年頃だ。気難しいものとわかってはいても、親としては全て理解してやりたくもある。
 まったくもって親の心子知らずとはよく言ったものだ。
 唸り声にも似た溜め息をもらすヴォルベルグは、ふいに視界に入った存在に視線を移した。
「お前はどう見る」
 表情すらまともに見えない相手ながらも、国のため尽力するこの怪しげな女をヴォルベルグは高く買っていた。
 数ヶ月前、突然現れたこの女は、自らをヴォルベルグに売り込んできた魔術師だった。
 もちろんヴォルベルグも最初こそ取り合わなかったが、この女魔術師は彼の思った以上に国を愛し、貢献してくれた。
 いくつかの出来事によって、この怪しげな女を徐々に評価し始めたある日のこと。突如、地上に現れた怪しげな集団に命を狙われたヴォルベルグを、この女魔術師は身を挺して救ってみせた。
 女でありながら命ともいうべき顔を負傷してまでヴォルベルグを救った女魔術師は、「なぜそこまで?」という質問に大して、「ただ偏にこの海を愛しているから」と答えた。
 以降、ヴォルベルグはこの女魔術師を国の宰相として迎え入れ、持てる知恵や力を存分に揮わせている。
「……恐れながら。今の姫さま、どうやらニセモノのようでございます」
「なんだと? それは真か!」
「どうやら姫さまの姿を使い、国に仇成す輩ではないかと」
 そう言って宰相の差し出したものは、ヴォルベルグの見慣れないものだった。
 少なくとも海の国にそんなものはない。当然だ。これはエリィが地上から持ち込んだ唯一の物。
 ブレイブナイツのメンバーが所持するはずのBウォッチは、宰相の手の中で小さな輝きを放った。
「おのれ……。このワシを謀るとは、命知らずめが。すぐにそのニセモノをここに連れてまいれ。ワシが直々に引導を下してくれるわ!」
 雷鳴のようなヴォルベルグの怒りに、この広い部屋が揺れ動く。
「陛下。この一件、私にお任せいただけませんでしょうか。このままニセモノを捕らえたところで元を潰さねば後顧の憂いは断てませぬ。つきましてはこのヤツらの所持していた物を使って、大元を探り当ててご覧にいれましょう」
 宰相の言葉に思案したのも数瞬。ヴォルベルグは再び険しい表情で頷いた。
「……ぬぅ。ならば任せる。お前の好きにせよ」
「はっ。では、まずは逃げられぬよう、国全体に厳戒態勢を布いていただけますか? あのニセモノを救出しようと不届き者が現れぬとも限りませぬ」
「よかろう。……だが、海に不慣れな者共など、生命なき雑魚の群れにも阻まれるだろうがの」
「念には念を、という言葉もございます。では、私は独自に動きますがご容赦を」
 頭を垂れ、その場で霞のように姿を消す宰相に、ヴォルベルグは顎に蓄えた髭をひと撫でしながら目蓋を閉じる。
 信用も信頼もしている。だが、どうにも解せない部分がないわけでもないのだ。その宰相を独自に動かすのは果たして正解だったのか。
 だが、回答を求めるべきは今ではない。今すべきは親として娘の安否を気遣うことと、王として国を守るべく動くことだ。
「誰かおらぬかっ! 国全域に厳戒態勢を布く。すぐに行動を開始せよっ!」
 ヴォルベルグの号令に、海の国が慌しく動き出す。
 だがこの瞬間、地上と海を分かつ戦いの火蓋が切って落とされようとしていることに気づいた者は、あまりに少なすぎたのだった。