手にしたものは?

<夏神楽二次創作SS>







 もう十月も終わろうというこの季節。水杜神社にも一足早い冬が訪れていた。
 夏の苦労などどこへやら。今ではその名残さえ消えかけていた。
 とりあえずいつものように起床。丁寧に布団を折りたたみ、滝峰幹也はようやく本日の第一声を口にした。
「うぅ……、やっぱり山の朝は寒いな」
 年の頃は十代の半ばといったところ。しかしこれでも立派な成人である。
 間違ってもシ○タ好きのための配慮でもなんでもないので、あらぬ勘違いは避けていただきたい。
 そもそも、彼の意志を以てこの姿になったわけではないのだが、理由が理由でなければ大騒ぎで元に戻る方法を探しているところだ。
 この水杜神社の居候になってから早四ヶ月。既に幹也はこの神社の一員になっていた。
 早々に顔を洗い、さっぱりとしたところで動きやすいジャージに着替えると、境内で軽く準備運動を開始する。
「やっぱり、少しなまったかな」
 勿論修行は続けているのだが、いかんせん実戦が不足している。
 この神社でナツ様といられることは喜ばしいのだが、ナツ様は幹也が遠方へ赴くことを良しとしない。
 かといって退魔の仕事に隠れて出かければ、後からしっかりと追いついてくる始末。
 ゆえに、幹也の受けるはずだった仕事は音羽家が総動員で片付け、幹也は仕方なく家事全般を受け持つ羽目になった。
「はぁ……」
 別に戦うことが好きなわけではない。勿論ナツ様と離れたいわけでもない。仕事尽くしだった頃は常にデスクワークへの異動を申請していたくらいだ。しかし、いざなにもやらなくなると、どうしても手持ち無沙汰を感じてしまうのは、やはり人間が飽きっぽい生き物だからなのだろう。
 いつもと違うランニングコースにと、駅前を目指して山を降りる。
 ここはかなり田舎なために、コンビニなんてものは駅前か学園周辺にしかないのだが、それでも利用する者は決して少なくはない。
(肉まんでも買って帰るか)
 ナツ様の喜ぶ顔を想像しただけで、自然と頬が緩んでしまう。自分がどれだけナツ様に心を奪われているのか、改めて実感する瞬間であった。
 とりあえず目指すは駅前のコンビニだ。
 足取りも軽く、幹也はいつもよりも軽快な走りで、駅前までの道をひたすらに駆け抜けて行った。





 予定通り肉まんを入れた袋を手に、幹也は再び足の筋肉を解し始める。
 やはり、いざというときに筋を切らないようにするには、普段からストレッチを心がけるしかない。
 少し念入りなくらいに足を解すと、幹也は軽く跳躍を繰り返す。
 やはりそうだ。
 少し困ったような表情を見せる幹也は、自分の身体の異常にようやく確信を持つことができた。
 ナツ様と交わり、生命を共有することで得た新たな肉体は、以前のそれよりも肉体年齢が若い。しかし、その能力を比較すると、格段に上がっているのだ。
 これは肉体の持つ本来の能力ではなく、ナツ様から常に送られてくる霊力によるものだ。
 普通では考えられないような霊力が、肉体にまで作用しているための付加効果。
 これではせっかくのトレーニングも意味がなくなってしまう。
「さて、どうしたもんかな」
「お・に・い・ちゃん」
 突然背後から声をかけられ、幹也は少女を振り返った。
 この大きなポニーテールを揺らし、大量の荷物を抱える巫女服の少女は、幹也の良く知る相手だ。
 音羽家の次女にして、自称ナツ様の一番弟子。音羽初花ちゃん。
 先日まで、退魔の仕事で家を空けていたのだが、こうしているのを見ると、どうやら無事に終えることができたようだ。
 幹也の表情から心配を読みとったのか、初花は心外だと腕を組んで頬を膨らませた。
「これでも、ナツ様直伝の術があるんだからね」
 実に勘の鋭い子だ。
「はは。ごめん、初花ちゃん。それと、おかえり」
「うん。ただいま、お兄ちゃん」
 ふと、初花の声に混じって何かが聞こえた気がした。
 その瞬間、初花の表情がバカ正直に気まずさを表現してしまうものだから、これで疑うなという方に無理がある。
 こんなわかりやすさも彼女の魅力のうちなのだろう。
「あは、あははは」
 今度は初花が苦笑する番だった。
「初花ちゃん」
「な、なんでもないよ」
 嘘だ。今度はばっちりと聞こえた。

にゃー

 やっぱり。
「初花ちゃん」
 もう一度幹也が尋ねると、初花は観念したのか大きめのボストンバッグを開いた。

にゃー

 案の定、顔を見せたのは一匹の茶色い子猫だった。
「いや、初花ちゃん。これはさすがに桂香さんだけならず、ご両親にも怒られない?」
 そんなこと、初花だってわかっているはずだ。子猫を抱き上げて頬を膨らませる姿が雄弁に物語っている。
「そこをなんとか。お願い、お兄ちゃん!」
 まるで猫の命を捧げますとでも言わんばかりに持ち上げてみせるものだから、猫は猫でたまったものではない。──かと思いきや、遊んでもらっていると勘違いをしているのか、しきりに尻尾を振っている。
 どうやらなんらかの手段で、子猫は初花に懐いてしまったらしい。
「お願いと言われてもなぁ」
 幹也自信がすでに厄介な居候なので、決定権があるはずもない。
 ナツ様ならばともかく……。
 その瞬間、幹也の中で何かが一致した。
(なるほどね)
 幹也が察した瞬間、初花もまたそれを察したかのように笑顔を見せた。
 つまり、幹也を落とせばナツ様も落としたことになり、事実上、水杜神社での鶴の一声を手に入れることになる。
 勘が鋭いだけでなく、頭もよく回るらしい。
「えへへ。ねぇお兄ちゃん……いいでしょ?」
「俺は正直、虎の威を狩る狐はしたくないんだけどね……」
 そうでなくとも、ナツ様のおかげで居候できているようなものだ。
 まぁ、桂香たちの父は、男一人で肩身の狭い思いはしなくて済むと喜んでいたのだが、それとこれとは話が別だ。
「お兄ちゃんのケチ……」
「いや、あのね初花ちゃん」
 相も変わらず困った子だ。
 いや、頭はいいのだから大方理解はしているのだろう。
 思わず、理性を縛る野生など……と、古いロボットアニメの言葉を思い出す。
 それにしても困った。放っておくわけにもいかないし、このまま子猫を放置すれば、まず間違いなく神社まできてしまうだろう。
 ここはやはり、葉子さん辺りに相談するしかないのだろう。
 飼うにせよ、放すにせよ、なにかしら知恵は貸してくれるはずだ。
 仕方がないとばかりに溜息をつくと、幹也は初花の荷物を担いで子猫共々神社への帰路を急ぐのだった。





「はぁ。初花ちゃんにも困ったものね」
 幹也から事情を聞き、さしもの大妖怪も思わず苦笑混じりのコメントを漏らす。
「葉子さんでも難しいですか」
「まぁ、それなりには。ですが幹也さん、ここはナツ様に直接お聞きになられた方が早いのではないでしょうか?」
 その言はもっともだ。
「というか幹也さん。私はおばあちゃんの知恵袋ではないのですよ?」
「いや、葉子さん。そんな笑顔で迫られても……」
 無理もない。困ったときの葉子頼みは、すでにあの夏の日に定着してしまったのだ。
「あの夏の日……私が幹也さんに蹂躙された日のことですわね」
「誤解を招くような発言はやめてください。というか、心読むのも勘弁してくださいよ」
 トホホ、と嘆く幹也に、葉子はやはり楽しげに笑みを浮かべるのだった。





 しかし、結局はナツ様にすべてを押しつけるような形になってしまった。
 いや、おそらく葉子さんはなにかしら別の手段を思いつきはしているのだろうが、面白半分に言っていた節もある。
 とにかく、ご両親と桂香が帰宅するまでがタイムリミットだ。
 縁側で茶を啜り、どうしたものかと思考を巡らせる。
 先ほどから、子猫も答えをせがむかのように幹也の膝の上を占領している。
「そういえば……」
 ふと膝の上の子猫に視線を落とす。
 そういえば肝心なことを聞き忘れていた。
「この猫……どうしたんだ?」
 拾ってきたのだろうか。それとも誰かに預けられたのだろうか。
 その辺りがわかれば少しなりと状況は変わってくるはずだ。
 しかし、やはりここでも問題が生じた。
 初花はついさっき出かけてしまったばかりなのだ。
 無理もない。学園のテスト期間が仕事に重なってしまったために、わざわざ帰ってから受けられるよう、学園側が取り計らってくれたのだ。
 卒業するためとはいえ、やはり哀れに思えて仕方がない。
 とにかく、初花はテストを受けに学園に行ってしまっている。いない者を探すほど時間を持て余しているわけではないので、渋々ながら買ってきた肉まんに口をつける。
 やはり肉まんは暖め直すと味が落ちる。決して不味いわけではないのだが、やはり独特の柔らかさが失われてしまうのだ。

にゃー

「お前はやめておけ。タマネギなんかも入ってるからな」

にゃー

「なかなか粘るな。よし……」
 生地の部分を小さく千切ると、掌に乗せて猫に差し出してみる。
 すると、やはり欲しかったのか、子猫は何度かに分けて匂いを嗅ぐと、ペロリと生地を食べてしまう。
 自分の手で与えたものを食べてもらうことが、これほど和むとは知らなかった。
 なんだか近い将来、趣味が料理になりそうな気がして止まない幹也であった。
「もうひとつ食べるか?」

にゃー

「そうか。よし……」
 やはり今度も幹也の掌からペロリと生地を食べてしまう。
 どうやらお腹を空かせているらしい。
(初花ちゃん。猫をお願いってそういう意味もあったんじゃ……)
 なんだか空の向こうで得意げに笑う初花を見た気がした。
 とにかく、お腹を空かせているとわかった以上、このまま放っておくわけにもいかない。
「確かぬるま湯で作った粉ミルクとかでも代用できたはずだけど……」
 問題はそんなものが水杜神社にあるかということだ。
 これではペットショップにでも走った方が早いかもしれない。
 そんなことを思案していたら、なにやら小走りのような足音が聞こえてきた。
 もはや振り返らずとも、それが誰だか幹也にはわかる。
「みきや」
 そんな嬉しそうな声と共に、軽い衝撃が幹也の背中にぶつかった。
 ぎゅっと首に回された腕に、幹也は困ったように、しかし笑顔で彼女を迎え入れる。
「おはようございます、ナツ様」
「おはよ」
 已然ナツ様は首に掴まったままだ。
 ふと、その視線が幹也の膝へと動いていく。

にゃー

 そこには見知らぬ相手が座っていた。
 子猫もなにを思ったか、ナツと視線を合わせて動こうともしない。
 微妙な沈黙が流れた。片や幹也の頬に触れる位置から、片や膝の上で覗き込むナツを見上げている。
 そんな二人……もとい一柱と一匹に挟まれ、幹也は悲鳴のような溜め息を漏らした。
「あの……ナツ様。どうかなさいましたか?」
 ご機嫌を伺うように尋ねる幹也に、ナツは子猫を指さした。
「そこ、ナツの席」
 ナツのもなにも、これは幹也の膝なのだが、そこがナツの特等席になっていたことも確かだ。
 そもそも、猫を相手に対抗意識を燃やされても困る。
「そこナツの席」
 今度は猫を相手に少し強気。
 さしもの猫もこれには驚いたのか、慌てて毛を逆立てる。
「ちょ……、ナツ様落ち着いてください。猫が怖がっています」
「みきやは……ねこがいいの?」
「そういうことじゃないですよ、ナツ様。ナツ様だって、食事中に邪魔をされたらイヤでしょう?」
 努めて諭すように言ったつもりだった。しかし、その言葉になにを感じたのか、ナツはするりと幹也の背中を離れていく。
「ナツ様……」
「いい」
 気落ちしているのはわかる。耳は垂れ、尻尾には元気がない。これはナツ様が落ち込んだときの外見特徴だ。
 慌てて手を伸ばそうにも、膝の上では猫が警戒したままナツを威嚇している。
「な、ナツ様っ!」
 離れていく白い恋人の背に、幹也は絶望ともいえる破壊の音を聞いた。
 これが俗に言う破局というやつなのか。
 まったく思いがけないところから迎えた展開だけに、幹也の思考はパニックを起こすほど複雑ではなかった。
 いや、むしろ……
「ナツ……さま?」
 あまりのショックに状況を悪化させるほどの思考が働いていないだけだ。
 境内を吹き抜ける風は冷たく、今まで温もりを感じていた背中がやけに寒く感じる幹也であった。












<つづき>